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2013年2月22日 (金曜日)

忘れてはうち嘆かるるゆふべかなわれのみ知りて過ぐる月日を(式子内親王)

新古今和歌集巻十一より、式子内親王の歌を鑑賞します。

「百首歌の中に、忍恋を」

忘れてはうち嘆かるるゆふべかなわれのみ知りて過ぐる月日を

(意訳)この長い月日の間、“片思い”と気付いては嘆く夕べだったわ。あの人は、私の気持ちなど知ってもいないことを忘れてしまうくらい、…好きなの。

ーーーーー

好きなあの人は、私の恋心など知りはしない。忍ぶ恋ということはわかっている。でも今宵こそやってきそうな気がする。ハッと我にかえる。あぁ、と嘆く。そんな夕べが何カ月も続いている、 というのです。相手も自分のことを思ってくれていると錯覚して毎夜待っている。ふと我にかえったときの嘆き。まさに片思いです。

作歌上の技巧として、上の句と下の句の文脈が倒置されています。調子をよくするため、上の句の「忘れては」と、下の句の「われのみ知りて」を、ともに「」音から始めているのが作者の手腕です。古今集巻十二、紀貫之の歌

「人知れぬ思ひのみこそわびしけれわが嘆きをばわれのみぞ知る」

を本歌としているそうですが、これでは表現がストレート過ぎて片思いの苦しさ・せつなさが伝わってきません。式子内親王には

あはれともいはざらめやとおもひつつ我のみしりし世を恋ふるかな

(意訳)(私がこんなにも慕っていることを、あの人は)愛おしいと言ってくれるだろうと思いつつ、片思いの日々を懐かしく思い出すことだ。

という作品もあります。この歌も屈折した表現で、式子内親王の作風がうかがえます。「忘れては」の歌などは現代風に言えばストーカーの一歩手前で、もはや片思いの限界といっていいのではないでしょうか。

【545】

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