早梅や御室の里の売屋敷(蕪村)
御室仁和寺の前を通りがかりました。蕪村の句
【早梅や御室の里の売屋敷】(そうばいやおむろのさとのうりやしき)
を鑑賞します。
(バス停より仁和寺仁王門)
(意訳)売屋敷となっているとも知らず、今年も信を守って庭の早梅は咲いていることだ。
去来に【冬枯れの木の間のぞかん売屋敷】の句があります。御室近く、嵐山大堰川の沿岸と思われる「大井里」との前書きがあり、蕪村句の下敷きになっているようです。蕪村句集講義(東洋文庫)によると、この句の眼目は「早梅や」と置いたところにあるといいます。『…梅さくやなど春季にしては売屋敷と梅と対称して、平凡なる景色となり、思想も陳腐なるを免れざれども、早梅にてそれら凡ての病を治し得たる心地す。…』とあります。また、内藤鳴雪のコメントで『…余が如き昔好きは、只御室と聞くのみにても、美感津々。』とあります。このこだわりが好きです。京都人のひとりとしてうれしくなります。ただ、いくつかの解説本を参考にしたところ、いずれも「早梅」を「そうばい」と読ませています。「はやうめ」も捨てがたいです。
「そうばいや おむろのさとのうりやしき」
「はやうめや おむろのさとのうりやしき」
う~ん、どうでしょう。個人的には「はやうめ」と読んだほうがいいのではないかと思います。鳴雪翁の意見を聞いてみたいところです(笑)
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通りがかった際、近くに売屋敷が見当たらないかと探してみましたが、そうは簡単に見つかりません。せめてどこかの庭にでも梅は咲いていないかと、もう一度見まわしてみたところ・・・
(きぬかけの道)
きぬかけの道沿いに、つぼみにも程遠い桜並木が見つかりました。現在は御室と言えばやはり桜です。
【558】
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