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2013年3月25日 (月曜日)

いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春にかすめる世のけしきかな(式子内親王)

新古今集83、式子内親王の歌、

いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春にかすめる世のけしきかな

を、勝手に鑑賞します。

(意訳)いままさに桜が開花したとみえて、薄曇りの景色が広がっている! 世のありさまのすべてが、春にかすんでいる!

ーーーーー

この歌、とてもすぐれた歌だと思うのですが、意訳となると、どうもうまくいきません。どこがすぐれているのかと問われても、はっきりこたえることは難しいように思います。強いて言うなら、「いま桜咲きぬと見えて」のスピード感あふれる調べから、三句目の「うすぐもり」でトーンダウンする調子の落差に、作歌のポイントがあるようです。また、「春にかすめる世のけしきかな」は、全体のまとめとも言えるし、とってつけたような “いわずもがな” の感もあります。いわばこの歌は、危なっかしいバランス感覚の上に成り立っています。

なんといっても、『いま桜咲きぬと見えてうすぐもり』…この言い回しがいいですねぇ。参考書で確認すると「今まさに」とか「咲いた瞬間とらえた」という言葉があてられています。ただ、よく考えれば作者は桜の開花をその目で見たわけではありません。にもかかわらず『いま桜咲きぬ』と言い切っています。なぜそう言えるのか。『うすぐもり』だからです。『春にかすめる世のけしき』だからです。 「はて? 桜が咲いたのが見える、と歯切れよく言っているのに、薄曇りにかすんでいるのはチグハグではないか」 と思われる向きもあるでしょう。まさに作者は、そのチグハグさを主張しています。ふと気がつけば、自分のまわりは薄曇りの景色に変っている。世の中が霞んで見える。 そうか! 桜が開花したのだ。いよいよ桜の季節がやってきたのだ!…作者の脳裏には次々と連想が広がっていきます。そのうちに、薄曇りに霞んでいるのは、春か? 桜か? 世の中か? それとも私か? すべての事象が渾然一体、なにがなんだかわからなくなってしまいました。間違いなく感じるのは「いま桜が咲いた」ということです。興奮の真っただ中に作者はいます。咲いた桜を目の当たりにして興奮する人は大勢いますが、薄曇りにかすめる世のけしきから桜の開花を感じ、興奮する人はそうはいません。式子内親王は、稀な感性の持ち主でした。

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かくのごとく、桜の開花は人をハイテンションにさせます。

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