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2013年3月28日 (木曜日)

ながらへて今年も見たり山桜(杉田玄白)

中央公論社刊、日本の名著22「杉田玄白・平賀源内・司馬江漢」に、杉田玄白の日記鷧斎日録よりー玄白の詩歌』 として、いくつかの漢詩・和歌・俳句が紹介されていました。杉田玄白の俳句が残されているとは意外に思い、今回はその中から、桜(花)を詠んだ俳句を3句鑑賞してみます。

【花見んと思へばおしき命かな】

【ながらへて今年も見たり山桜】

【仙人の仲間入して花見かな】

いずれも享和元年(1800年)の作です。数え年85歳まで長生きをした玄白が、これらの句を詠んだのは68歳の時で、それでも当時としてはかなりの高齢でした。三句はそれぞれ、2月12日 同25日 3月8日 の日付があります。鷧斎日録(いさいにちろく)というのは、杉田玄白が55歳から73歳まで書き綴った日記のことで、記事とともに日々の感懐を漢詩・和歌・俳句に託しているのだそうです。三句を日記風に解釈してみます。

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花見んと思へばおしき命かな】(はなみんとおもえばおしきいのちかな)

「(2月12日)この冬は厳しい寒さで、寄る年波を感じたが、まもなく桜の季節がやってくる。きっと今年も美しい花を見せてくれることだろう。それを思うといまからワクワクする。今年も春を迎えることができてうれしい。命が惜しい。まだまだ長生きをしたいものだ」

ながらへて今年も見たり山桜】(ながらへてことしもみたりやまざくら)

「(2月25日)待ちに待った桜の開花だ。例年のごとく咲く山桜。この歳になってまで見ることができたのは、なんとありがたいことだろう。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、というではないか。まったく長生きした甲斐があったというものだ」

仙人の仲間入して花見かな】(せんにんのなかまいりしてはなみかな)

「(3月8日)今年の桜も終わりを告げようとしている。落花盛んな今、思うは来年のこと。ともに蘭学を志した同志は、ひとりまたひとりと、亡くなってゆくばかり。私自身も、再び来年の桜にめぐり合うことができるだろうか。もはや仙人の仲間入りをしてでも、花見を続けたいものだ」

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私自身は「鷧斎日録」を目にしたこともなく、以上は想像にまかせた勝手な鑑賞です。特に3句目には 「一日遊佳境一日之神仙とあれば」 との前書きがあるので、むしろ老境の悠然とした気持ちを詠んだもののようです。ただこの三句は、開花前のワクワク感、開花後の安堵感、落花には仙人の悟りの境地と、心の動きが連続しているように思います。俳句としてはストレートな表現で、あまり余情を感じないのが残念ですが、現代風に言えば玄白は理系の人です。ストレートな表現がかえって持ち味のような気がします。それにしても、多彩な科学者でありました。

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