« 七へ八へへをこき井手の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ(四方赤良) | トップページ | 八九間空で雨ふるやなぎかな(芭蕉) »

2013年4月21日 (日曜日)

ふらここの会釈こぼるるや高みより(太祇)

炭太祇の句を鑑賞します。

ふらここの会釈こぼるるや高みより】(ふらここのえしゃくこぼるるやたかみより)

意訳:ブランコ遊びの美人が、高いところからにっこり会釈を送っている。

「ふらここ」はブランコのこと。鞦韆(しゅうせん)ともいいます。現代では主として子供の遊具ですが、古くは宮中で女官が遊ぶものだったそうです。炭太祇(1709-1771)は、蕪村と同時代の京都の俳人です。京・島原に「不夜庵」を結んでいました。

遊郭の太夫(たゆう)たちが中庭のブランコに興じる風景でしょうか。「会釈こぼるる」がポイントです。たとえば「笑みこぼるる」では子供のブランコ遊びになってしまいます。「会釈」の二文字で大人であることがわかります。ブランコですから当然手は離せません。勢いよくこいで、一番高いところまで上がった瞬間、わずかにあごを下げてニコッと笑う。なんともいえない色気です。それがべっぴんさんで、見物人が自分ひとりだとしたら、炭太祇ならずとも、男なら舞い上がってしまうことでしょう。白楽天の長恨歌 “回眸一笑百媚生(ひとみをめぐらしていっしょうすればひゃくびしょうじ)” と同じような感動を覚えます。

蘇軾の詩「春夜」の“鞦韆院落夜沈沈(しゅうせんいんらくよるちんちん)”が、夜のブランコを詠んだ秀句とすれば、日中のブランコを詠んだものとして、この句などは筆頭に挙げられると思います。

【603】

« 七へ八へへをこき井手の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ(四方赤良) | トップページ | 八九間空で雨ふるやなぎかな(芭蕉) »

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ふらここの会釈こぼるるや高みより(太祇):

« 七へ八へへをこき井手の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ(四方赤良) | トップページ | 八九間空で雨ふるやなぎかな(芭蕉) »