ふらここの会釈こぼるるや高みより(太祇)
炭太祇の句を鑑賞します。
【ふらここの会釈こぼるるや高みより】(ふらここのえしゃくこぼるるやたかみより)
意訳:ブランコ遊びの美人が、高いところからにっこり会釈を送っている。
「ふらここ」はブランコのこと。鞦韆(しゅうせん)ともいいます。現代では主として子供の遊具ですが、古くは宮中で女官が遊ぶものだったそうです。炭太祇(1709-1771)は、蕪村と同時代の京都の俳人です。京・島原に「不夜庵」を結んでいました。
遊郭の太夫(たゆう)たちが中庭のブランコに興じる風景でしょうか。「会釈こぼるる」がポイントです。たとえば「笑みこぼるる」では子供のブランコ遊びになってしまいます。「会釈」の二文字で大人であることがわかります。ブランコですから当然手は離せません。勢いよくこいで、一番高いところまで上がった瞬間、わずかにあごを下げてニコッと笑う。なんともいえない色気です。それがべっぴんさんで、見物人が自分ひとりだとしたら、炭太祇ならずとも、男なら舞い上がってしまうことでしょう。白楽天の長恨歌 “回眸一笑百媚生(ひとみをめぐらしていっしょうすればひゃくびしょうじ)” と同じような感動を覚えます。
蘇軾の詩「春夜」の“鞦韆院落夜沈沈(しゅうせんいんらくよるちんちん)”が、夜のブランコを詠んだ秀句とすれば、日中のブランコを詠んだものとして、この句などは筆頭に挙げられると思います。
【603】
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