菜の花や行き当りたる桂川(蝶夢)
蕪村とほぼ同時代の京都の住人で、僧でもあり俳人でもある蝶夢(ちょうむ、1732-1796)の句、
【菜の花や行き当りたる桂川】(なのはなやゆきあたりたるかつらがわ)
を鑑賞します。
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先日、当ブログのネタ探しを兼ねて嵐山を散歩していたところ、渡月橋近くの河畔に菜の花を見つけました。1本また1本と、点々と咲いています。「どうしてこんなところに菜の花が咲いているのかな?」 と違和感を覚えつつも、写真に収めました。
その後、自宅で京都を詠んだ詩歌を調べていて、表題の句を見つけました。まさかこの句にあわせてだれかが菜の花を植えたとも思えません。たまたま偶然でしょう。
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ご存じのように菜の花には佳句が多く、蕪村の 『菜の花や月は東に日は西に』 は、その最たるものです。桂川との取り合わせで詠んだものには、池西言水に、
【菜の花や淀も桂も忘れ水】(なのはなやよどもかつらもわすれみず)
というのがあります。忘れ水というのは野中を細々と流れる小川のことです。菜の花畑の雄大さに比べたら、淀川も桂川も細流に過ぎない、と言うのです。蝶夢の句も、「背丈以上ある大きな菜の花畑を抜けたと思ったら桂川に行き当たった」 という意味なのでしょうが、言水とは句柄が違うように思います。それもそのはず、蝶夢という人は、俳人としてよりも、芭蕉研究で功績を残しているのだそうです。残念ながら佳句には恵まれませんでした。
(渡月橋を望む)
写真中央を流れる水路は、渡月橋の夜間照明の電力をまかなっているミニ水力発電のために引かれた水路です。先日、ミャンマーのアウンサンスーチーさんが、嵐山を訪れた際に見学されたとかで、ニュースになっておりました。ということは、この菜の花はスーチーさんの目にもとまったかもしれません。その目を楽しませるには、あまりにも貧弱な数本の菜の花でしたけど。
それにしても、どうしてこんなところに菜の花が生えているのかなぁ。「行き当りたる」疑問でした。
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