花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき(崇徳院)
千載集より、崇徳院御製の歌を鑑賞します。
「百首歌めしける時、暮の春の心をよませ給う」
【花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき】(春歌下、122)
(はなはねにとりはふるすにかえるなりはるのとまりをしるひとぞなき)
意訳:春が終われば、花は根に、鳥は古巣に帰るという。でも、春の行き着くところを知っている人はいない。(いったいどこへとまっているのだろう)
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和漢朗詠集「閏三月」、藤原滋藤の、
花悔帰根無益悔(花は根に帰りしことを悔ゆれども悔ゆるに益なし)
鳥期入谷定延期(鳥は谷に入らんことを期(ご)すれども定めて期を延ぶらむ)
を念頭に置いて詠まれたといわれる惜春の歌です。詩は、『(三月で春は終わる。ところが今年は閏三月があった。)散ってしまった花は悔やんだところでどうしようもない。谷の巣に帰ろうとした鳥たちも、ひと月延期するであろう』 という心です。崇徳院の歌は、「花は根に、鳥は古巣に」 というリズムがいいですね。一度聞けば記憶に残るだけあって、この言葉だけで“元通りに帰ることのたとえ”、ことわざになっています。そして「とまり」 には、宿泊場所の「泊まり」、季節の移ろいの「停まり」「止まり」、それとも人々の心に「留まり」、の、いったいどの意味をあてればいいのでしょうか。意図されているのかどうかわかりませんが、結果的に掛け言葉になっているようにも思えます。
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崇徳院(1119-1164)は、保元の乱で罪に問われ、讃岐に流されたのち、かの地で恨みを抱いて亡くなったといわれています。怨霊となって京都の街に祟りをなしたという伝説もあります。昨日蹴鞠を見学した白峯神宮は、明治天皇が讃岐より崇徳院の御霊を京都に戻すために建立されたのだそうです。
(今出川通より)
境内には「崇徳天皇欽仰之碑」がありました。
崇徳院の歌といえば、百人一首の 「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」 が有名です。いくつかの歌を鑑賞する限り、とても怨霊になるような方とは思えませんが、少なくとも強い情熱をお持ちだったようで、流れるような調べの中にもはっきりと主観の出た歌を多く残されています。
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