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2013年4月20日 (土曜日)

七へ八へへをこき井手の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ(四方赤良)

 表題の歌の前に、まずは後拾遺和歌集巻19より、中務卿兼明親王(かねあきらしんのう)の歌を鑑賞します。

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 「小倉の家に住み侍りけるころ、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りてとらせて侍りけり。心も得でまかり過ぎて又の日、山吹の心も得ざりしよしいひおこせて侍りける返りごとにいひつかはしける」

ななへやへ花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき

 意訳:「小倉の家に住んでいたころ、雨の降る日に蓑(みの)を借して欲しいという人がいたので、山吹の枝を折り取って与えた。(その人は)わけがわからなくて、とりあえず帰ったものの後日、山吹の意味がわからなかった、と言ってきたので、その返事に詠んでおくった

七重八重ときれいに花は咲くけれど、山吹には実の一つもできないのは不思議なことだ(…あなたが所望した蓑一つもわが家にはないのだよ)

 太田道灌の逸話としても知られている歌です。一重の山吹は実がなるけれども、八重の山吹には実がならない。八重山吹は「実の一つ」ない、当家にも「蓑一つ」ない、というのです。さらりと詠んでいるようでいて、謎かけの構成になっています。詠みかけられた人は、突然のことで何のことやらわからなかったのです。とはいえ気になるので、後日尋ねてきました。即興の歌にしてはリズム感にすぐれ、見事な出来栄えです。

 作者の兼明親王(914-987)は、醍醐天皇の皇子で博学多才だったそうです。勅撰集には一首だけの入集で、作風を語るには材料不足ですが、この歌を見る限り、機転の利く人だったようですね。小倉の家=嵐山の亀山付近に隠棲していたといわれています。

6022(亀山付近、渡月橋より)

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 さて、表題の歌です。

七へ八へへをこき井手の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ】(四方赤良)

(ななへやへへをこきいでのやまぶきのみのひとつだにでぬぞきよけれ)

 上の歌の替え歌であることは間違いありません。当ブログ好みの典型的な言葉遊びの歌です。ちょっと下品過ぎて、意訳するのもはばかられます。ここでは鑑賞のポイントだけを書いておきます。

1、旧かなの「ななへやへ」は、現代語では元歌が「ななえやえ」、赤良の歌は「ななへやへ」です。「七重八重」と「七屁八屁」の言い換えを、声に出して楽しみます。

2、「こきいで」の「出で」と、山城の山吹の名所 「井手」との掛け言葉に笑います。歌に詠み込まれる山吹といえば、古来より「井手」と決まっています。「屁をこき出で」とつなげた手腕は見事なものです。

3、元歌の「実のひとつ」と「蓑ひとつ」の掛詞に、さらに別の「」をかぶせてきました。七つも八つも屁をこけば、当然次は「」のひとつも出そうです。

4、山吹の黄色は小判の色にたとえられますが、ここでは「」の色に対応しています。言われてみれば山吹色と考えられなくもないです。(乳児の場合、まさに山吹色をしていることもあります)

5、最後に「出ぬぞ清けれ」でオチをつけました。結局「へ」だけが出て、「み」は出なかったのです。ナニソレ! プッと吹き出しつつも、完結したストーリーに納得します。

 作者の四方赤良(よものあから)は太田南畝(1749-1823)の別号で、江戸時代を代表する狂歌師でした。狂歌は、現代で言えばパロディですね。これほどくだらない替え歌はないですが、ある意味、ひねりにひねった最高の言葉遊びとも言えます。それも、世の中平和なればこその名作です。

6021山吹の花(左=八重、右=一重)

【602】

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