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2013年4月 9日 (火曜日)

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)

京都府立植物園竹笹園に、妙な名前の竹林を見つけました。

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ナリヒラダケ?…もしかして、業平竹? あの「昔をとこ」の?

どうしてそんな名前をつけられたのか調べてみたら、日本原産のこの竹は、容姿端麗で美しく、まるで在原業平のようだということで命名されたそうです。名付け親は日本の植物学の父とも呼ばれる牧野冨太郎博士(1862-1957)でした。

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容姿端麗なのかどうか、私には評価できませんが、細身でまっすぐに伸びた竹です。それにしても、おしゃれな名前を付けたものです。業平の歌は植物学者の心をも動かしたかと、いささか感動しました。

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世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし】(古今集春歌上、53)

(よのなかにたえてさくらのなかりせばはるのこころはのどけからまし)

意訳:この世の中にまったく桜の花というものがなかったならば、春を迎える気持ちは、さぞかしのどかなものであったろうに…。(桜が咲くおかげで、こんなにもワクワクそわそわした気持ちになるのだ)

世の中に」 と、静かに始まり、「えてなかりせ」 で、a音の連続する急なリズム。一呼吸入れて 「春の心は」 とゆるやかに続く緩急の使い分け。そして、なんといっても結句です。意味はおぼろげにわかるけど、「のどけからまし」 って、いったいどこの方言? と思うくらいに強烈な印象です。参考書の解説文を一部引用してみます。

のどけからまし…「~せば・・・まし」の形は、現在の事実に反する仮想とその結果を表わす。この歌の場合をくわしくいうと、「現在実際には桜というものはあるのだが、カリニ桜トイウモノガ全然ナイトシタラ、春ノ心ハノドカデアロウニ、実際には桜があるのでのどかでない」ということを表わしている…』(「要説 万葉・古今・新古今」より)

なるほど、そういうことですか。でもこれでは何か物足りませんねぇ。歌の調べ、作品からほとばしる情熱を見逃しているんですよねぇ。当ブログのカテゴリは勝手に鑑賞です。文法的な詳細は省略します。

ともかく、「のどけからまし」という優雅な言い回しがニッポン語にあったのだ! と驚きつつ、その表現力に感嘆させられます。

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心に残るいい歌です。このような歌が詠めるのは、ナリヒラダケならぬ、“業平だけ”です(笑) 満開の花のもと、「ニッポンの春に桜があってよかった~」 と、シャッターを切りました。

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