はるさめのこしたにつたふしみずかな(芭蕉)
芭蕉に、【春雨の木下につたふ清水かな】という句があります。以下は、この句を教材にした、国語の授業のひとこまです。
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担当の教師は、黒板に、
【はるさめの こしたにつたふ しみずかな】
と書きました。そして、芭蕉が笈の小文の旅で詠んだこと、「苔清水」との前書きがあり、吉野山の西行庵で、西行の歌と伝えられる『とくとくと落つる岩間の苔清水くみほす程もなきすまひ哉』を念頭に詠んだこと、それは“とくとくの清水”と呼ばれていることなど、句の背景を説明しました。続いて語句の解釈に入ります。
先生:『「はるさめ」は「春」「雨」と書く。「はるあめ」じゃないよ。意味はもちろん春に降る雨のこと。次の「こした」は 「木」「下」。「きした」じゃないです。「つたふ」は現代かなづかいでは「伝う」。「しみず」はわかりますね。「清い水」ってことだね。「かな」は前にも言ったように切れ字です。情感を高めるために使う、俳句独特の言い方でした。 で、この句を通釈すると、『春雨がきれいな水となって、木の下を伝わって流れてる』となります。芭蕉はこの句を吉野で詠んでいます。なぜこの句を詠んだか。それは、自分の尊敬する西行が詠んだ歌と同じ情景・心境を、春雨降る吉野で体感したからです。『これがあのとくとくの清水だ!』と気付いたからです。芭蕉にとっては心底からの感動でした。芭蕉はその気持ちを、自分の得意とする五七五にまとめました。芭蕉が俳句を詠む理由のひとつに、昔の人とつながりたい、という欲求があります。古人の生き方考え方に共鳴して自分と重ね合わせたのです。このことは古典を学ぶ上でのポイントです。西行に感動する芭蕉がいて、芭蕉に感動するわれわれがいる。そこには綿々と続く感動の共有があります。いいですか。ここは大事なところだからテストに出るよ。しっかり頭に入れておいてください』
と、ひとりの生徒が手をあげて質問しました。
生徒:『先生、テストに出るんだったら、今日欠席している人にも教えないとだめですね』
先生:『そうだね。ここは大切なところだから、伝えておかないといけないね。困ったな、誰に頼もうかな。…ところで今日欠席しているのは誰だっけ』
生徒:『木下君です』
先生:『あ、そう。それなら清水君にお願いします』
あてられた清水君は大きな声で叫びました。『え~っ! 僕ですか!』
先生:『そうだよ。だって芭蕉が言ってるじゃないか。“木下に伝う清水かな”、って』
【607】
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