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2013年4月 1日 (月曜日)

ながむとて花にもいたし頸の骨(西山宗因)

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4月になりました。京都の桜もほぼ満開で見ごろをむかえています。西山宗因の句を鑑賞します。

ながむとて花にもいたし頸の骨】(ながむとてはなにもいたしくびのほね)

意訳:その昔、かの西行法師は 『ながむとて花にもいたく馴れぬれば…』 と詠んだけれども、上ばかり向いて桜の花を眺めていると、首の骨が痛くなってくるわい。

西山宗因(1605-1682)は江戸時代前期の肥後生まれの俳人で、芭蕉より少し前の人です。一句は貞門風ダジャレの句として有名なものですが、本歌ともいうべき西行の歌を知らなければ何のことやらわかりません。以下、句の背景を勝手に想像してみました。

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ある日のこと。満開の桜を愛でようと出かけた宗因宗匠、同行の弟子たちに言います。

「いやぁ、見事な花ですな。古人の歌が頭に浮かんでまいります。『見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける』 これは素性法師です。『久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ』 これは紀友則です。わが国では古今集以来、花といえば桜を指すものと決まっております」

一言たりとも宗匠の話を聞き逃すまいと、弟子たちがまわりを囲みました。

「こうして花ばかり眺めておりますと、次第になれてまいります。そうそう、こういうのもあります。 『ながむとて花にもいた…』」

ここで突然、宗匠の言葉をさえぎって、弟子のひとりが口をはさみました。

「先生、それは西行ですね。 『ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ』」

と、宗因宗匠、首筋にそっと手をあてて続けます。

「いやいや、私の句です。『ながむとて花にも痛し頸の骨』 いかがですかな。これが俳諧というものです」

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この句のおもしろさは、途中まで西行の歌の雅(みやび)な口調をそのまま使っているところにあります。それから一転して「いたく」が「痛し」になり、「頸の骨」でオチを決めています。今ならただのオヤジギャグかもしれませんが、うまいこと言うもんです。同音異義語と連想による言葉遊びは、俳句の原点を思わせます。

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※もとになる西行の歌は、新古今集126 「題しらず」

ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ

(ながむとてはなにもいたくなれぬればちるわかれこそかなしかりけれ)

意訳:こうして眺めていると、今年の桜の花にもずいぶんなれ親しんだものだ。まもなく散ってしまうその別れを思うと、悲しいことだなぁ。

【583】

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