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2013年4月16日 (火曜日)

「風狂狂客起狂風…」 一休さんの漢詩。

先日、大徳寺の近くを通りかかりました。

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大徳寺といえば一休さん(一休宗純)です。今回は、一休さんの漢詩を鑑賞してみます。

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風狂狂客起狂風(ふうきょうのきょうかくきょうふうをおこし)

来往婬坊酒肆中(らいおうすいんぼうしゅしのうち)

具眼衲僧誰一拶(ぐがんののうそうだれぞいっさつするは)

画南画北画西東(みなみをかくしきたをかくしにしひがしをかくす)

(意訳)もの狂いの坊主が、またキチガイじみた行動に出た。女郎屋と酒屋にやってきてはうろうろしている。 見識ぶった禅僧が問答をしかけてきたが、誰だあいつは。南へ北へ、西へ東へ、自分で決めて勝手に行くだけのことさ。(狂雲集より)

起句に「」という字が三つ、結句に「」が三つ。作者の主張はこの二つの字に集約されているようです。「」は、狂おしい・物好き・思い通りに、「」は、考えをめぐらす・はかりごと・くわだて(=計画の「画」)です。自分の思うまま、好き勝手に行動したい、ということです。その裏には、「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」とか、「南無釈迦じゃ娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃどうじゃこうじゃというが愚かじゃ」、などの歌に示される、悟りというか、独特の無常観があることは、言うまでもありません。

一休さんといえば、なんといっても「この橋渡るべからず」の話です。「橋」と「端」をかけて、真ん中を堂々と渡っていったのはあまりにも有名で、現代人にはとんちの得意な小坊主というイメージが定着しています。実は後小松天皇のご落胤とかで、身分の高い人だったそうです。だからこそ自由奔放にふるまうことも許されたのでしょう。ある意味、うらやましい限りです。

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風狂の狂客狂風を起こし

来往す婬坊酒肆の中

具眼の衲僧誰ぞ一拶するは

南を画し北を画し西東を画す

(解釈には異論もあると思います。勝手な鑑賞であることをお断りしておきます)

【598】

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