人恋し灯ともしころをさくらちる(白雄)
加舎白雄の句、
【人恋し灯ともしころをさくらちる】(ひとこいしひともしころをさくらちる)
を鑑賞します。
(意訳)たそがれの灯ともしころ。散る桜。人恋しい。なんとなく…。
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ぼんやりとうす暗くなった桜苑。花の盛りは過ぎて、ひらひらと花びらが舞っています。それだけでなんとなく物悲しいところへ、生暖かい風がふわ~っと吹いてきました。心細く淋しくなって、「だれかそばにいてほしいなぁ」 とため息をつく、そんな場面です。
「ひとこいし」から「ひともし」へ、ほぼ同音の言葉を並べて人恋しさを増幅させています。これは掛け言葉(しゃれ)なのでしょうか。自然な言葉の流れは、なんともいえない余韻をもたらし、鑑賞者をうっとりとさせます。語感といい情景といい、散る桜のイメージそのものです。
「白雄の秀句」(矢島渚男著・講談社学術文庫)の解説によると、「灯ともしころ」であって、「灯ともし頃」ではないとのことです。なぜかというと、必ず「ひともしころ」と清音で読まなければならないからです。そういうこだわりって好きだなぁ。
とはいえ、こういう句は理屈で読み解いてばかりいてもつまらないです。帰宅時、校庭横の桜でもいい。途中の駅前の桜でもいい。家族待つわが家を思い浮かべながらでも、遠く離れた恋人を想ってでもいい。 散りゆく花の前にたたずみ、『ひとこいし ひともしころを さくらちる』 とつぶやくほうが、鑑賞としてはよほどすぐれています。この句に関しては、鑑賞=感傷です。
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加舎白雄(かやしらお)は蕪村とほぼ同時代の人、天明中興の俳人のひとりです。白雄の句では、この句が一番好きです。
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