初蝶来何色と問ふ黄と答ふ(虚子)
高浜虚子が戦争を避けて疎開した小諸時代の、それも昭和21年の春に詠んだ蝶の句をいくつか鑑賞します。
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①【初蝶来何色と問ふ黄と答ふ】(はつちょうく なにいろととう きとこたう)
家人:「さっき、今年初めて蝶が飛んで来たよ」
虚子:「そう。何色だった?」
家人:「黄色」
このような問答があったのでしょうね。手に取るようにわかります。敗戦直後、疎開先の虚子の暮らしは不自由が多く、世情とかけ離れて飛んで来た初蝶には、感慨深かったことでしょう。秀句として取り上げられることの多い句で、会話のまま五七五にまとめたのはさすがです。「来」、「問ふ」、「答ふ」と、動詞の終止形を三つ連ねて臨場感を出し、句を引き締めています。 とはいえ、私などはこのときの初蝶が黄蝶でよかったな、と思います。たとえばモンシロチョウでは 【初蝶来何色と問ふ白と答ふ】 となり、間延びしていささか興ざめです(笑)
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②【初蝶が来ぬと炬燵に首を曲げ】(はつちょうが きぬとこたつに くびをまげ)
この句はちょっと難解です。炬燵に暖をとっているとき、初蝶が飛んできたと言われて、「え、こんなに寒いのに!」 と首をかしげて不思議に思ったと解釈するには、句の調子が平板過ぎて疑問が残ります。
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③【もつれつゝ蝶どこまでも上り行く】(もつれつつ ちょうどこまでも あがりゆく)
この句はいいですね。暖かい春の日に二匹の蝶が絡み合いながら上へ上へと上っていく姿は、よく見かけるところです。花鳥諷詠の本領でしょうか。「もつれつつ」に、ほのかな色気を感じます。(“上り行く”は「のぼりゆく」と読んだほうがいいかもしれません)
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④【人と蝶美しく又はかなけれ】(ひととちょう うつくしく またはかなけれ)
人と蝶は似た者同士、どちらも美しいがはかない という意味でしょうか。「はかなけれ」に違和感があります。「儚い」の仮定形? “はかないとしたならば”? “はかなくあってほしい”? 「又」も気になります。ちょっと理屈っぽいです。
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⑤【蝶飛びて其あとに曳く老の杖】(ちょうとびて そのあとにひく おいのつえ)
“蝶と老”をとりあわせて詠んだ感懐です。昭和21年といえば、虚子は72歳になります。『散歩中蝶が飛んできた。あっと思って立ち止まった。見失うまで目で追った。見えなくなった。老人は杖を曳いてまた歩きはじめた』 という連続したシーンです。情景がイメージしやすく、季語の蝶がよく効いています。
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⑥【初蝶の其後ちの蝶今日は見し】(はつちょうの そののちのちょう きょうはみし)
⑦【初蝶は二十日餘りも前なりし】(はつちょうは はつかあまりも まえなりし)
①の続きのような二句です。察するにこの二句を詠んだのは、はじめの句によほど自信があったか、評判がよかったことのあらわれではないでしょうか。昭和21年の初蝶は、虚子の記憶深くに残り、【初蝶来何色と問ふ黄と答ふ】 の名句をものにしました。何日か後、今日の蝶はこの目で見ることができたと一句詠み、20日以上後にも、初蝶を思ってさらにもう一句詠んでいるわけです。まさか柳の下に二匹目のドジョウを狙ったわけではないと思いますけど…(笑)
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以上7句は、岩波文庫「虚子句集」(高浜虚子自選)の小諸時代四月「蝶」(昭和21年)にある句です。もとより、勝手な鑑賞であることをお断りしておきます。
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