蝶々や何を夢見て羽づかひ(千代女)
蝶を詠んだ加賀千代女(1703-1775)の句を鑑賞します。
【蝶々や何を夢見て羽づかひ】(ちょうちょうやなにをゆめみてはねづかい)
(意訳)蝶がとまっている。羽を開いたり閉じたり、まるで考え事をしているみたいに。いったい何を夢見ているのかしら。
「何を夢見て羽づかい」がいいですねぇ。あたりを飛びまわったあげく、羽を休めている蝶にぴったりです。風景を思い浮かべるだけで、ほんわかとした気分になります。女性らしい繊細な目線で、色気さえ感じます。荘子の「胡蝶の夢」からの連想という解もありますが、単なる叙景句としてとらえるのがいいと思います。
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【蝶々やをなごの道の跡や先】(ちょうちょうやおなごのみちのあとやさき)
(意訳)ひとりで道を歩いていると蝶が飛んできた。後ろからついてきたり、前へまわったり。(女の道を心得ているのかしら)
「をなごの道の」がいいですねぇ。蝶々との取り合わせにはドキッとします。女の歩く道にまつわりついてくる蝶。まさかストーカーではないでしょうが、ここでいう蝶は男のことではないかと、おじさんはつい裏の意味を想像してしまいます。
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【蝶々や幾野の道の遠からず】(ちょうちょうやいくののみちのとおからず)
(意訳)蝶が飛んでいる。幾つもの野を越えて、どこへでも飛んで行ける蝶がうらめしい…。
百人一首の「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)を念頭に置いているのはいうまでもありません。「幾野の道」は何かの比喩なのか、「遠からず」はただのオチなのか、ちょっと理解に苦しみます。単なる叙景句としても、先の二句に比べてイマイチです。
※「蝶々」は「てふてふ」。
【623】
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