« 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ(虚子) | トップページ | すそ野暑く頭寒足熱富士の雪(貞徳) »

2013年5月 7日 (火曜日)

うつつなきつまみごころの胡蝶哉(蕪村)

蕪村の句を鑑賞します。

うつつなきつまみごころの胡蝶哉】(うつつなきつまみごころのこちょうかな)

(意訳)蝶の羽をそっとつまんでみる。あるかなきかのなんとも言えない感触。まさに夢うつつ…、そうか、これが荘子の言う「胡蝶の夢」だったのだ。

うつつなき=あるかなきかの(ぼんやりとした)

①、蝶を指でつまんだときの感触を、「うつつなき」と解釈するのが一般的です。鱗粉(りんぷん)って言うんですか、蝶の羽には粉がついています。子供のころ、蝶を捕まえた人は多いと思います。どこかふわっとした感触があります。離すと指に粉がついて、こすり合わせるとまたふわっとした感じがします。あの感触を「うつつなき」と表現したわけです。「現」と書いて「うつつ」と読み、この世に存在しているもの、現実のことです。蕪村は「うつつ」が「無い」と言っています。蝶の羽をつまんでみたら“あるかないかわからない感じがした”、ということです。万人の経験をもとに、ちょっとひねりを加えた見事な表現だと思います。

②、さらに作者は、荘子の「胡蝶の夢」との関連をにおわせています。荘子(そうし・そうじ)は中国古代の思想家です。あるとき荘子は蝶になった夢をみました。自分が荘子であることも忘れて楽しく飛び回ります。目が覚めたときに荘子は、蝶になった夢をみていたのか、それとも蝶が荘子になっている夢をみているのか、蝶と荘子と、どちらが本当の存在なのかわからなくなります。つまりは「うつつなき」です。蕪村の句にこの解釈が成り立つのは、「つまみごころ」と言っているからです。「心」は、とりもなおさず蕪村の感情です。暗に、蕪村自身が「うつつなき」存在だと認めているようにも思えます。

ーーーーー

俳句には表の意味と裏の意味があるといわれます。この句で言えば、『蝶の羽をつまんだとき「うつつなき」感触だった』 が表の意味で、『実は自分の存在が「うつつなき」、胡蝶の夢だ』 が裏の意味ということになります。

ちなみに5月7日は五・七で「粉(こな)の日」なのだそうです。鱗粉も粉のうちかな?(笑)

【619】

« 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ(虚子) | トップページ | すそ野暑く頭寒足熱富士の雪(貞徳) »

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: うつつなきつまみごころの胡蝶哉(蕪村):

« 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ(虚子) | トップページ | すそ野暑く頭寒足熱富士の雪(貞徳) »