うつつなきつまみごころの胡蝶哉(蕪村)
蕪村の句を鑑賞します。
【うつつなきつまみごころの胡蝶哉】(うつつなきつまみごころのこちょうかな)
(意訳)蝶の羽をそっとつまんでみる。あるかなきかのなんとも言えない感触。まさに夢うつつ…、そうか、これが荘子の言う「胡蝶の夢」だったのだ。
※うつつなき=あるかなきかの(ぼんやりとした)
①、蝶を指でつまんだときの感触を、「うつつなき」と解釈するのが一般的です。鱗粉(りんぷん)って言うんですか、蝶の羽には粉がついています。子供のころ、蝶を捕まえた人は多いと思います。どこかふわっとした感触があります。離すと指に粉がついて、こすり合わせるとまたふわっとした感じがします。あの感触を「うつつなき」と表現したわけです。「現」と書いて「うつつ」と読み、この世に存在しているもの、現実のことです。蕪村は「うつつ」が「無い」と言っています。蝶の羽をつまんでみたら“あるかないかわからない感じがした”、ということです。万人の経験をもとに、ちょっとひねりを加えた見事な表現だと思います。
②、さらに作者は、荘子の「胡蝶の夢」との関連をにおわせています。荘子(そうし・そうじ)は中国古代の思想家です。あるとき荘子は蝶になった夢をみました。自分が荘子であることも忘れて楽しく飛び回ります。目が覚めたときに荘子は、蝶になった夢をみていたのか、それとも蝶が荘子になっている夢をみているのか、蝶と荘子と、どちらが本当の存在なのかわからなくなります。つまりは「うつつなき」です。蕪村の句にこの解釈が成り立つのは、「つまみごころ」と言っているからです。「心」は、とりもなおさず蕪村の感情です。暗に、蕪村自身が「うつつなき」存在だと認めているようにも思えます。
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俳句には表の意味と裏の意味があるといわれます。この句で言えば、『蝶の羽をつまんだとき「うつつなき」感触だった』 が表の意味で、『実は自分の存在が「うつつなき」、胡蝶の夢だ』 が裏の意味ということになります。
ちなみに5月7日は五・七で「粉(こな)の日」なのだそうです。鱗粉も粉のうちかな?(笑)
【619】
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