何有於我哉(論語述而篇より)
子曰、黙而識之、学而不厭、誨人不倦、何有於我哉(述而第七・2)
『子曰く、黙(もく)してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦まず、我に於いて何か有らんや』
(意訳)孔子(先生)がおっしゃった。「黙って記憶し、学んで飽きることはなく、人を教えてイヤになることがない…この3つのことは、私にとって、なんでもないことだ」
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論語のこの章を読んだとき、孔子という人はホントにエライ人だなぁと思いました。「覚える・学ぶ・教える」、この3つのことが何でもないことだと簡単に言ってのけるのですから、たいしたものです。私なんか、「忘れる」「面倒くさい」「伝わらない」です。そこで、心にとどめて日々の励みにしたいと思い、論語の解説書を目にするたびにこの章を開いておりました。
そうしたら、違う解釈をされている本が幾つもあるんですよねー。「黙って記憶する、学んで飽きない、教えてイヤにならない」までは同じで、問題は最後の「何有於我哉」の読み方です。上の意訳を含めて比べてみます。
①、『黙って記憶し、学んで飽きることはなく、人を教えてイヤになることがない…この3つのことは、私にとって、なんでもないことだ』
②、『黙って記憶し、学んで飽きることはなく、人を教えてイヤになることがない…この3つ以外に、私には何のとりえもないのだ』
③、『黙って記憶し、学んで飽きることはなく、人を教えてイヤになることがない…この3つのことが、私にはできていないのだ』
④、『黙って記憶し、学んで飽きることはなく、人を教えてイヤになることがない…この3つのことが、私にしかできないのはどうしてか』
私は素人ですから、漢文の読み方はよくわかりませんが、①は孔子の自信・自慢、②と③は孔子の謙遜、④は孔子が相手を鼓舞している、と考えれば、どれも筋の通った解釈として成り立つのがおもしろいです。これも論語の奥深さのあらわれでしょうか。ひとついえるのは、「覚える・学ぶ・教える」の3つが難なくできる人は、「Good!」だということです。
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