歩き歩き物おもふ春のゆくへかな(蕪村)
蕪村の句を鑑賞します。
【歩き歩き物思ふ春のゆくへかな】(あるきあるきものおもうはるのゆくえかな)
蕪村の春の句、特に「行春」や「暮春」を詠んだ句には、芭蕉の「行春を近江の人と惜しみける」のような素朴な惜春の情ではなく、たとえば「行春や撰者をうらむ歌の主」、「ゆく春やおもたき琵琶の抱心」、「うたた寝のさむれば春の日くれたり」のように、どこか憂鬱で、けだるい心境を詠んだものが多く、蕪村の魅力のひとつになっています。「歩き歩き物思ふ春のゆくへかな」では、作者は買い物に出たのか散歩に出たのか、考え事をしながらため息をついているような印象を受けます。春の行方を惜しむと言うよりも、「あ~、うっとうしいなぁ」とつぶやいている感じがします。
このようなけだるさ・憂鬱感を表現する場合、蕪村には二つの手法があるようです。一つはマイナスイメージの言葉を使うことです。「うらむ」や「おもたき」がそうで、句の印象を決定づけていると言っていいでしょう。いま一つは字余りを効果的に使うことです。この句は上五中七を、「歩き歩き」「物思ふ春の」と六・八に間延びさせ、けだるさ感を演出しています。言葉のリズムが自然に悪くなって、
「あるきあるき/ものおもうはるの/ゆくえかな」
と、どうしても 「/」 のところでとぎれてしまい、いかにも憂鬱な感じになります。
「うたたねの/さむれば/はるのひ/くれたり」
も同様の効果を狙っています。五七五という限られた文字数の中で、実に巧みなテクニックを使うものです。
【621】
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