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2013年5月13日 (月曜日)

ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ(式子内親王)

まもなく葵祭。平安時代末期に賀茂の斎院をつとめたという、式子内親王の歌を鑑賞してみます。

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「いつきの昔を思ひ出でて」

ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ】(新古今集雑歌上1484)

(ほととぎすそのかみやまのたびまくらほのかたらいしそらぞわすれぬ)

意訳:ほととぎすよ。その昔、神の館に旅寝したとき、ほのかに語りかけてきたほととぎすよ。あの空の景色を私は今も忘れない。

前書きの「いつき(斎院)」というのは賀茂の社に仕えた未婚の皇女のことです。式子内親王は十歳のころからおよそ十年間斎院をつとめました。それはつらい経験だったのでしょうか。何年も後にホトトギスの鳴くのを聞いて、当時のことを感慨深く詠んでいるわけです。

そのかみ」に、「その上(その昔の意)」と「その神」を掛けています。「旅枕」に、斎院は人生の旅の仮寝の時代であったと、嘆きの意味を込めています。そしてなんといってもこの歌のポイントは「そのかみ山」と「ほの語らいし」にあります。「その」と「ほの」、「かみやま」と「かたらいし」のほぼ同音の繰り返しは、なんともいえない調べのよさをもたらしています。式子内親王の歌の魅力は、まっすぐなのか屈折しているのかわからないところにあります。素朴で純粋な心を、技巧を凝らして詠むところにあるのだと思います。

新古今集夏歌にも、同じ斎院時代を詠んだ内親王の歌があります。

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「斎院に侍りける時、神だちにて」

忘れめや葵を草に引き結び仮寝の野辺の露の曙】(新古今集夏歌182)

(わすれめやあおいをくさにひきむすびかりねののべのつゆのあけぼの)

意訳:忘れることがあろうか(いや忘れられない) 葵を草に結んで野辺の神館に仮寝した、あの露の曙のことを。

前書きの「神だち(神舘)」は、賀茂祭(葵祭)で斎院が一泊する上賀茂神社の神館とのことです。「」「」「仮寝」「野辺」「」「」と名詞を並べ、斎院の記憶は鮮明に残っています。もっとも、式子内親王の歌の多くは空想の産物であるともいわれます。それはそれで複雑な心のあらわれといっていいでしょう。ただ、この歌などはあれもこれも詰め込み過ぎて、作者の感動の所在=何を「忘れめや」なのか、ポイントが絞れていないように思えなくもないです。たぶんこのおじさんの鑑賞力が不足しているせいでしょうけど。

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勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

>深山あかねさん
私なりの鑑賞ですが、参考になれば幸いです。コメントをありがとうございます。

 この記事の歌の解釈を借用させていただいてよろしいでしょうか。

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