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2013年5月17日 (金曜日)

亀山へ通ふ大工やきじの声(蕪村)

 蕪村句集に、【亀山へ通ふ大工やきじの声】という句があります。難解で意味がわかりません。いくつかの解説書を見ても、いまひとつ納得できません。そこで私なりに検討を加えてみました。

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 まず亀山とはどこをさすのでしょうか。天明二年の作品とのことですから、当時蕪村は京都に住まいしておりました。ならば亀山は京都の近郊と考えるのが自然です。思いつくのは2つの地名です。

①、旧名を亀山といった現在の亀岡市か?

②、嵐山の小高い丘の亀山か?

 解説書も両説に分れています。私は②の嵐山の亀山だと思います。というのは、徒然草の207段「亀山殿建てられんとて…」に次のような話が載っています。

 『亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集まりたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられけんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してげり。さらに祟りなかりけり。』(岩波文庫、徒然草より)

 (意訳)

 『(後嵯峨上皇が)亀山離宮をお建てになろうとして、地ならしをなさったところ、大きな蛇が数しれず固まり集まっている塚があった。(工事の者たちが)「この土地の神が出た!」と事の次第を報告し、(後嵯峨上皇は)「どうしたらよいだろうか」と御下問になった。皆、「昔からここに住みついているものなので、そう簡単に掘って捨てるわけにはまいりません」と口々に言ったところ、この大臣(徳大寺実基)だけはただ一人、「わが国の生き物が、(支配者たる上皇の)皇居を建てられるというのに、なんの祟りをなすというのだ。鬼神は邪道を行わないものだ。気にすることはない、ただ全部掘り返して捨てればよい」とおっしゃったので、塚を崩して蛇は大井川に流してしまった。そして(大臣の言うとおり)全く祟りはなかった

6292(現在の天龍寺門前)

 亀山殿とは、現在の天龍寺です。徒然草にあるように後嵯峨上皇が造営された亀山殿(離宮)を、足利尊氏が禅寺にしたといわれています。この話は、造成で地ならしをしていたところ、蛇が大量に出たのでタタリを恐れたが、大臣徳大寺実基の「上皇の威光で作るのだから気にすることはない。捨てればよい」との命令で工事が続行された、というものです。

 それが蕪村の句とどういうつながりがあるのかというと、蛇と言えば雉なのです。蕪村の頭には常に芭蕉がありました。蕪村は次の句を思い出します。

蛇食ふと聞けばおそろし雉の声】(へびくうときけばおそろしきじのこえ)

 そうです。雉はヘビを食べるのです。さらに雉は、大きな声で「ケーン」と鳴くと言います。「雉の一声」です。ここで蕪村の連想は一句に結実します。つまり、

亀山へ通ふ大工やきじの声】(かめやまへかようだいくやきじのこえ)

とは、

 「後嵯峨上皇の離宮造営のために日々亀山へ通う大工たちが、大量に出た蛇を前にタタリを恐れていた。上皇の威光があるから問題ない、と大臣の一声で工事続行が決まった時、雉が一声鳴いた。雉は蛇を食べるという。これで何のタタリもなく工事に専念できるというものだ

 という意味ではないでしょうか。亀山殿造営・大量の蛇から「大工」「」を出してきたところが、この句の眼目、すなわち“俳諧”なわけです。

6291(大井河(桂川)と亀山)

 私の調べた限り、徒然草の51段「亀山殿の御池に…」を引いて亀山を亀山離宮とする解釈はありましたが、207段との関係を示唆する解説はありませんでした。すなわち、蛇を食べる雉(キジ)の姿を、亀山離宮の造営の際にヘビが出たという徒然草の記事(キジ)に掛けたとするのが、当ブログの解釈です(笑)

 (…とはいえ、勝手な鑑賞であることをお断りしておきます。)

【629】

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