われのみやかく恋すらむ杜若丹つらふ妹は如何にかあるらむ(万葉集)
先日訪れた府立植物園にかきつばた(杜若)が咲いておりました。かきつばたと言えば、古今集(伊勢物語)の、か・き・つ・ば・たを折句にした 『から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ』 を思い出しますが、今回は万葉集から二首取り上げてみることにします。
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●【われのみやかく恋すらむ杜若丹つらふ妹は如何にかあるらむ】(巻十、1986)
(われのみやかくこいすらむかきつばたにつらういもはいかにかあるらむ)
(意訳)私だけがこんなに恋しているのだろうか。あのかきつばたの花のように赤い顔のあの子はどう思っているのだろう。
●【杜若丹つらふ君をゆくりなく思ひ出でつつ嘆きつるかも】(巻十一、2521)
(かきつばたにつらうきみをゆくりなくおもいいでつつなげきつるかも)
(意訳)かきつばたのような赤い顔の君を、ふと思い出して嘆いたことがあったなぁ。
※丹つらふ=君・妹・色などにかかる枕詞。赤い頬の意か?
※ゆくりなく=急に、ふと、思いがけず。
二首とも、恋人をかきつばたにたとえた素朴な歌です。かきつばたの花は紫色で、「丹」といえば赤色のはずなのにどうしてかな? と思ったら、「丹つらふ」で、妹、君、色などにかかる枕詞なのだそうです。「つらふ」とは頬のことでしょうか? いまでも顔のことを「つら」と言うのは、その名残なのかもしれません。「丹つらふ」を赤い頬だとすると、どうしても女性の頬のイメージになり、意訳では作者を男性としました。歌の意味からすると、男女どちらにもとれます。万葉集にはかきつばたを詠んだ歌が計7首あり、ほとんどが相聞歌です。当時から杜若は美しい人の形容に使われていたことがわかります。
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↑ 「これでもその昔は“いずれあやめかかきつばた”と言われたことがある」 と言い張る、うちのお年寄り(笑)
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