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2013年6月16日 (日曜日)

若竹や夕日の嵯峨と成にけり(蕪村)

蕪村の句を鑑賞します。

若竹や夕日の嵯峨と成にけり】(わかたけやゆうひのさがとなりにけり)

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 「や」「けり」の切れ字がふたつ。でもこの句は蕪村句集の中でも秀句とされている句です。その理由と言うのが、

 「切れ字は作者の感動を余韻として表現するもの。この句の場合作者は、“嵯峨の夕日”“嵯峨の若竹”という、嵯峨を印象づける二つの景物を一度に得たのだから、切れ字を二つ使っていることで、かえって作者の感動を際立たせることに成功している。嫌味もない」

 となります。中村草田男の『降る雪や明治は遠くなりにけり』は、この句からヒントを得たともされています。以下、今回は意訳というか、蕪村の言葉を勝手に想像して解釈してみました。

 『先日、所用で嵯峨を訪ねたときのことですわ。嵯峨言うたら竹藪ですやろ。この季節は若竹がすくすく伸びて、よーこんだけ伸びるもんやなぁと、独りごちて立ちどまったんですけど、しばらく眺めてたら夕日があたってきましてな。それがあんた、めちゃくちゃきれいで、やっぱり嵯峨はええとこやなーて。そのとき嵯峨まで足を運んだ用事があんまりええ話やなかったさかい、いささか気分が沈んでましたんやが、夕日を見た途端に吹き飛んだくらいですわ。こんな景色を一人で見るのはもったいない、せめて一句詠んどかんとあかんやろ。そう思て出来たんが、この【若竹や夕日の嵯峨となりにけり】ですねん。自分では、結構ええ句ができたと思てます。なんちゅうても語呂がよろしいやろ。どんなもんですやろ?

 まぁ、こんな程度の軽いノリではないでしょうか。切れ字とかなんとか、あんまりこだわってなかったような気がします。私に言わせれば、蕪村も普通のおじさんだったと思うのです。ただ、現代の俳句好きが切れ字を二つ入れて詠んだら、

 「基本的に切れ字はひとつだ。初心者がよく間違えるんだよねぇ」

 と言われるのがオチです。著名な俳人の句はマネしたくてもなかなかできないものです。

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