金州城下作(乃木希典)
日露戦争さなか乃木希典(のぎまれすけ、1849-1912)が、金州城の激戦地跡を視察して詠んだという漢詩「金州城下作」を鑑賞します。
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「金州城下作」(きんしゅうじょうかのさく)
山川草木轉荒涼(さんせんそうもくうたたこうりょう)
十里風腥新戦場(じゅうりかぜなまぐさししんせんじょう)
征馬不前人不語(せいばすすまずひとかたらず)
金州城外立斜陽(きんしゅうじょうがいしゃようにたつ)
意訳:山も川も、草も木も、何もかも荒涼としている。新戦場の十里四方には、血なまぐさい風が吹いている。(この光景に)馬は進もうとせず、人々は語ろうとしない。金州城外の夕日に照らされて、ただ佇むばかりだ。
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悲惨、かつ感動的な作品です。一句目「うたたこうりょう」、二句目「かぜなまぐさし」と、強烈な印象をもってわれわれに迫ります。「轉(転)」とは、いよいよ、ますます、の意ですが “本来は美しいはずの山川草木が荒涼たる風景に転じた” との嘆きもあると思います。「腥」は生肉・魚肉の臭気の意味で、もちろんここでは死臭です。戦死者の処理はすべて終わっていたのかいなかったのか、生暖かい風に異臭ただよう新戦場。馬は動かない、人は言葉も出ない。乃木は呆然と立ちすくむばかりでした。
このときの戦い(明治37年5月25日~26日)は「南山の戦い」というのだそうです。金州は現在の大連で、南山はその郊外の丘でした。ロシア軍の撤退で、一応日本軍の勝利に終ったとはいうものの、損害は日本軍(第二軍)のほうが多かったとされています。後に行われる旅順攻囲作戦のため、第三軍を率いて乃木が金州城に到着したのは、南山の戦いの10日余り後でした。「金州城下作」を詠んだのは6月7日です。仮埋葬した戦死者の墓碑にビールを献じた際、この詩を示したともいわれています。墓碑の中には、長男勝典の名もありました。
この詩を口ずさむとき、私は宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の一節を思い出します。
【…北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ…(北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい)】
賢治は争いごとそのものを「つまらない」と言っています。まして武力で解決を図るなんて、なんと愚かなことでしょう。詩としてはすばらしい出来ですが、こういう詩が作られた背景、歴史は、実に残念なことだと思います。
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