« 五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(伊勢物語) | トップページ | 紫陽花や仰山過ぎて折らずなる(成田蒼虬) »

2013年6月10日 (月曜日)

市中は物のにほひや夏の月(凡兆)

 猿蓑所収の芭蕉、去来、凡兆による三吟歌仙「市中は」の巻から、凡兆の発句を鑑賞します。

市中は物のにほひや夏の月】(いちなかはもののにおいやなつのつき)

ーーーーーーーーーー

 (意訳)夏の宵、暑さに戸窓を開け放った町家。生暖かい風に夕餉の焼き魚煮物など、さまざまなにおいがただよう。いかにも庶民のにおい、生活臭。見上げると、お月さまが涼しげに出てきた。きれいだなぁ。こうなると、町のにおいもまた一興というものだな。

 季節感あふれた秀句だと思います。当時は平屋造りの家ばかり。もちろんエアコンも扇風機もなく、町中のにおいは実感だったでしょう。要するに臭かった(笑) とはいえ、人々の近しい暮らしぶりが彷彿として、現代人にはむしろうらやましく感じます。そしてこの句は、夏の月との対比が眼目です。この発句は「にほひ」と「」で、嗅覚と視覚に焦点を当てています。それならばと芭蕉のつけた脇が「あつしあつしと門々の声」でした。「声」=聴覚をもってきました。このへんが芭蕉の上手いところで、発句を立体的に展開させています。

 凡兆(ぼんちょう、?-1714)は金沢の生まれ。京都に出て医者をしていました。俳諧の技量を芭蕉に高く評価され、去来とともに猿蓑の選を任されました。作風は芭蕉の門人らしく、調べにすぐれています。「上行と下くる雲や秋の空」「禅寺の松の落葉や神無月」 など、佳句を多く残しています。私の好きな俳人のひとりです。

ーーーーー

 (連句は解釈するのが大変難しく、当時の風習・暮らしぶりを知らないと、私のような素人には、いったい何を言っているのかさっぱりわからないものが多いです。この「市中は」の巻も、参考書等によって、発句・脇・第三くらいまではなんとか理解できましたが、その後は手に負えない句が続きます。当ブログは勝手に鑑賞だということを、今一度お断りしておきます)

6531

【653】

« 五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(伊勢物語) | トップページ | 紫陽花や仰山過ぎて折らずなる(成田蒼虬) »

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 市中は物のにほひや夏の月(凡兆):

« 五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(伊勢物語) | トップページ | 紫陽花や仰山過ぎて折らずなる(成田蒼虬) »