« たのしみは百日ひねれど成らぬ歌のふとおもしろく出できぬる時(橘曙覧) | トップページ | わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ(小野小町) »

2013年6月29日 (土曜日)

うき草や今朝はあちらの岸に咲(中川乙由)

江戸中期の俳人中川乙由の句です。

うき草や今朝はあちらの岸に咲】(うきぐさやけさはあちらのきしにさく)

(意訳)昨日はこの岸にあった浮草が今朝は向こう岸にある。あっちへ行ったりこっちに来たり、落ち着かないことだ。

ーーーーー

 中川乙由(なかがわおつゆう、1675-1739)は伊勢の人。芭蕉の直弟子とも言われますが、同じく焦門の支考とともに軽妙通俗な句風の俳人として知られています。中でもこの句が有名です。

 あるとき乙由が芝居見物に行ったとき、隣の桟敷に知り合いの遊女が来ていました。あくる日にまた行ったら、同じ遊女が向かいの桟敷に来ていました。“昨日は近かったけど今日は遠くなりましたね” とお菓子を届けてきたので、この句を詠んだと言われています。(あるいは、昨日は乙由と一緒に来た遊女が、今日は別の男と来ているのを見つけて詠んだとも言われます) 遊女の境遇ですから、浮草(根なし草)のように、ひとつ所に腰を据えることはないでしょう。あっちへふらふら、こっちへふらふらなのも当然です。それを作者は、人生の一面にもつながると考えたのかもしれません。

 『うきぐさやけさはあちらのきしにさく うきぐさやけさはあちらのきしにさく うきぐさやけさはあちらのきしにさく』

 三度ほど繰り返して読んでみてわかるのは、いかにも愛想のない突き放したような言い方であることです。正岡子規以来、乙由の作品は俗に堕ちていると非難されることが多いですが、詩としての音感・語感の面では優れた作者であることは間違いないです。すくなくとも、人口に膾炙した理由のひとつであると思います。解釈はいろいろあるでしょうが、あながち捨てた句ではないと思います。

6721(府立植物園にて)

【672】

« たのしみは百日ひねれど成らぬ歌のふとおもしろく出できぬる時(橘曙覧) | トップページ | わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ(小野小町) »

勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: うき草や今朝はあちらの岸に咲(中川乙由):

« たのしみは百日ひねれど成らぬ歌のふとおもしろく出できぬる時(橘曙覧) | トップページ | わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ(小野小町) »