行き暮れてここが思案の善哉かな(織田作之助)
(法善寺横丁)
大阪ミナミの法善寺横丁に句碑がありました。織田作之助の句です。
【行き暮れてここが思案の善哉かな】(ゆきくれてここがしあんのよしやかな)
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織田作之助(おださくのすけ、1913-1947)は昭和十年代から戦後にかけて活躍した大阪の小説家です。坂口安吾・太宰治などとともに無頼派と呼ばれています。とはいっても、三人はそれまでの既成文学を批判して勝手気ままに好きなことを書いたことが共通しているだけで、無頼派の同人誌などはありません。織田作之助(好きな人は「オダサク」と呼びます)が実際に執筆活動をしたのは十年ほどで、残念ながら戦後すぐに結核で亡くなりました。
さて、表題の句はどのように解釈すればいいのでしょう。「善哉」と書いて「よしや」と読ませてはいるものの、オダサクの代表作「夫婦善哉(めおとぜんざい)」との関連が考えられます。「夫婦善哉」とはどんな小説なのでしょう?
妻子持ちの柳吉と芸者の蝶子は駆け落ちして一緒に商売を始めます。ところが柳吉の放蕩癖、散財癖のためうまくいきません。それぞれの親兄弟のもめごとや病気を絡め、波乱万丈の展開です。とうとう蝶子の自殺未遂騒ぎとなり破局を迎えるかと思いきや、それでも二人は別れることなく一緒に暮らし続けます。ラストに二人で法善寺境内の『めおとぜんざい』を食べる際の蝶子のセリフ、
『一人より女夫(めおと)のほうがええということでっしゃろ』
が全編を通しての主題かと思われます。大阪の市井を生き生きと描いた、心に残る短編です。
(句碑)
要するに一句は 『お互い好き合うた仲やないの。どこまでも一緒です』 ってことかな。「行き暮れて」たとえ行き倒れになろうとも、トラブル続きで「ここが思案」と悩むことがあろうとも、最終的には「夫婦善きかな」と解釈したいですね。
最後に水掛け不動さんにおまいりしました。
“善きかな っていうより、うちの場合は『まぁええか、しゃぁないわ』やろなぁ”
…人生いろいろ、夫婦もいろいろ、解釈もいろいろです。
【667】
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