思ふことみなつきねとて麻のはをきりにきりても祓へつるかな(和泉式部)
6月25日、天神さんです。北野天満宮の「大茅の輪くぐり」に行きました。
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茅の輪の横に立札があり、くぐる際の作法が書いてありました。昨年当ブログでも紹介した、『みな月のなごしの祓いする人は千歳の命のぶるといふなり』と『蘇民将来、蘇民将来』のほかに、もう一首まじないの歌が記されてあり、調べてみると和泉式部の歌であることがわかりました。岩波文庫の「後拾遺和歌集(西下経一校訂)」では1206番です。「水な月祓へをよみ侍りける」との前書きが添えられています。
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【思ふことみなつきねとて麻のはをきりにきりても祓へつるかな】
(おもうことみなつきねとてあさのはをきりにきりてもはらえつるかな)
意訳:思うことや悩み事は、(キリのいい水無月の月末のお祓いだけに)“みな尽きてしまえ”と、麻の葉を切りに切ってお祓いをいたしました。
一読してすぐに気がつくのは「みなつきね」です。「水無月」と「皆尽き」をかけています。「きりにきりても」は「切りに切りても」で、月末のキリにかけています。麻の葉を切り刻んでお祓いをするのは「きりぬさ」というのだそうです。広辞苑に記述がありました。
【きりぬさ】(切麻・切幣)麻または紙を細かに切って米とかきまぜ、神前にまきちらすもの。こぬさ。
実は、切るのではなく裁つのだそうです。裁つ=断つという意味があるのでしょう。悪縁を断つわけです。
以上のように「みなつきね」といい、「きりにきりても」といい、伝わってくるのはただの言葉遊びです。お祓いのまじないとして真剣味がないというか、すぐれた歌とはとても思えません。実際、こんな歌を唱えながら茅の輪をくぐって効果があるのかな? と思ってしまいます。気楽なものです。夏越祓といっても所詮は季節の風物詩、のんびりとくぐっていられる時代に生まれたことを、和泉式部ともども感謝すべきなのかもしれませんね(笑)
(とはいえ、勝手な解釈&鑑賞であることをお断りしておきます)
【668】
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コメント
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「お祓いのまじないとして真剣味がない」とのことですが、和泉式部に成り代わって弁明します。現代人は駄洒落だと思うでしょうが、古代の歌には、同音異義語を意図的に詠み込む、重複構造の歌がたくさんあります。表の意味と裏の意味があり、本当の意図はすぐにはわからないようにするのが、平安時代の歌の詠み方なのです。現代人の感覚で評価してはいけません。平安時代の歌をたくさん読んで勉強して下さい。
投稿: milk3 | 2018年6月24日 (日曜日) 14時51分