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2013年6月30日 (日曜日)

わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ(小野小町)

 古今集より、小野小町の歌を鑑賞します(巻十八雑歌938)

“文屋康秀が三河掾になりて、「県見には、え出で立たじや」と言ひやれりける、返事によめる”

わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ

(わびぬればみをうきぐさのねをたえてさそうみずあらばいなんとぞおもう)

意訳:文屋康秀が三河の掾になって、「私の担当する田舎の見物には、一緒に行ってくださらないのですか?」と言ってきた返事に詠んだ歌

『(そうですね)わび住まいの憂き身の上ですので、浮草のように根を断って、誘ってくれる水でもあれば、そのまま流れていってしまおうと思います

ーーーーー

 よく知られた歌です。「憂き(身)」と「浮き(草)」を掛けています。「三河」なので「誘ふ水あらば」としたのでしょう。小野小町といえばべっぴんさんの代名詞です。咄嗟の機転も持ち合わせていたことがわかります。単純にこの歌を解釈すると、小町は文屋康秀と三河へ下向したかのように思われますが、実際はただのざれ歌(冗談混じりの贈答歌)で、一緒について行くことはなかったとされています。それは、この歌が古今集恋の部ではなく雑の部に収録されていること、気位の高かった小町が三河掾(三等官)程度の男についていくはずがないこと、歌を詠んだとき小町はすでにおばあちゃんであったと思われること、などの理由によります。古今著聞集の記事によると、こののち小町は 『次第におちぶれ行ほどに、はてには野山にぞさそらひける』 とあり、さらに『人間の有様、これにて知るべし』 とあります。絶世の美女だったと言われるだけに、晩年のさびしさが際立ちます。

【673】

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