いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎたみ行きし棚無し小舟(高市黒人)
万葉集巻一より高市黒人(たけちのくろひと)の歌です。
【いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎたみ行きし棚無し小舟】
(いづくにか ふなはてすらん あれのさき こぎたみゆきし たななしおぶね)
(意訳)いったいどこに船泊まりするのであろうか。安礼の崎を漕ぎめぐっていった、あの棚なしの小舟は。
※安礼の崎=場所については諸説あり。三河湾のどこか?
※棚無し小舟=船棚のない丸木舟。
よく知られた歌です。作者の高市黒人については解説書をお読みいただくとして、当ブログで強調したいのは、この歌が万葉集の中でも、特に音楽性にすぐれた歌であるということです。以下順を追って、勝手に鑑賞してみます。
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「いづくにか ふなはてすらむ」
この歌、いったんここで切れています。二句切れです。黒人の歌は、二句で切れるものが多いです。これはテクニックというよりも、黒人の自然な作風と言っていいでしょう。この歌の場合、「いったい今宵は、どこに泊まるのであろうか?」と、自らの主張をはじめに持ってきています。読むほうにしてみれば、『何が?』 と謎を提示されたようなものです。次にどういう言葉が続くのか、緊張して待つことになります。自らの主張(歌の主題)を問いかけ形式で歌いだすことは、読者の興味を引きだすことにつながります。
「あれのさき」
三句目には地名を持ってきました。これも黒人の特徴です。具体的な名を出すことによって場面が鮮明になります。「安礼」は指示代名詞の「あれ」に通じます。『ほら、見てごらん。あれあれ。あの岬のところに見えるでしょう』 …なんとなく歌の情景が伝わってきました。残された謎は、何が見えているのか? です。
「こぎたみゆきし たななしおぶね」
ついに一首の全貌が明らかになります。なるほど! そうだったのか! 作者はちょっとした高台から、岬の向こうに消えてゆく、船棚のない丸木舟をじっと見つめていたのです。ここに至って読者の脳裏に、安礼の崎をめぐる歌の全景がイメージできました。「夕日が眩しかったんじゃないかなぁ。もしかして小舟じゃなく、黒人自身が今宵の宿を探していたのかもしれないなぁ。きっとさびしかったんだろうなぁ。いい歌だなぁ」 次から次へと連想はわき、新たな感動を呼び起こします。
「こぎたみゆきし たななしおぶね」…音楽性にすぐれているのは、このフレーズです。二度三度繰り返して口ずさんでみてください。なんと心地よい響きでしょう。いったいどうしてだろう? と、いくつかの参考書にあたってみたところ、犬養孝著「万葉の人びと(新潮文庫)」の「第十八回高市黒人」の章に、次のように説明されているのを見つけました。
『・・・その上「漕ぎ 廻み 行き し 棚無し 小舟」と続くのですから、いかにも水脈を残して行く船の雰囲気が出ています。しかも韻をよく踏んでいます。こういうことは意識して出来ることではありませんが、「安礼のさきィ」「漕ぎィ」「廻みィ」「行きィ」「しィ」「棚無しィ」という「イ」というしみ通るような韻です。これをみますと、歌というのは本当に音楽ですね。実にみごとに寂しい感じが、こきざみに出ているでしょう…』
まさにその通り! もやもやした私の思いが、すべてクリアになりました。感激です。この解説だけで、犬養孝先生のファンになりました(笑)
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最後に、「安礼の崎」の場所については、古来よりいろんな考証がなされ、明確にしようと努力されてきました。しかし現在まで特定できていません。私自身は、所在地の確定など必要ないと思います。古語にこだわる必要はありません。万葉時代ならいざしらず、鑑賞するのは今を生きているわれわれです。私にとって「安礼」は、指示代名詞の「あれ」で十分です。すばらしい歌です。高市黒人には千数百年の時を超えて、一言「感動をありがとう」と言いたいです。
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