自詠(菅原道真)
菅原道真の漢詩「自詠」を鑑賞します。
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「自詠」(みずからえいず)
離家三四月(いえをはなれてさんしげつ)
落涙百千行(なみだをおとすひゃくせんこう)
萬事皆如夢(ばんじみなゆめのごとし)
時時仰彼蒼(しじひそうをあおぐ)
※彼蒼=かの青い空。
意訳:家を離れて三か月、いや四か月が過ぎたであろうか。もう百すじも千すじも涙を流した。(昔の栄華も今の落魄も)何もかも夢のように思えて、あの青空を仰ぐばかりだ。
菅公が太宰府に左遷されて京都を離れたのは、昌泰四年(901年)二月のことでした。その二年後の延喜三年に亡くなるまでの間に、自らの境遇を嘆く詩歌をいくつも作っています。中でもこの詩は意味をとりやすく、無実の罪を着せられた菅公の無念さが強くあらわれています。
有名な作品なので、詩の背景等の詳細は解説書に譲るとして、“勝手に鑑賞”の当ブログが目をつけたのは四句目「時時」の読み方です。もちろん漢詩ですから「ときどき」とは読みません。普通は音読みで「じじ」と読ませています。ところが最初の「時」の字を濁らずに「しじ」と読み下す場合があります。これはどうしてでしょうか。ひとつには、「しじ」=四時(しいじ、四六時中の意)につながり、いつも天を仰いで涙を流していたという意味と、もうひとつは菅公を讒言した左大臣藤原時平を慣用的に「しへい」と呼ぶのに呼応しているためです。作者は「時」の字を二つ並べて使っています。まさに、「時平め! あの憎き時平め!」と言いながら天を仰いで呪っていたことを意味します。この詩には時平に対する強い怨念がこめられているわけです。少なくとも後世の人はそのように解釈して、「時時」を「しじ」と読んだのではないでしょうか。
先月25日、北野天満宮の夏越祓では老若男女の茅の輪くぐりでにぎわってました。菅公の死の6年後、藤原時平は祟りのために39歳の若さで狂死したとも言われます。当ブログは北野天満宮をほぼ毎月訪ねます。さらに心して参拝しようと思います。
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家を離れて三四月
涙を落す百千行
万事皆夢の如し
時時彼蒼を仰ぐ
【675】
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