« 行行重行行(古詩十九首其一) | トップページ | ステテコや彼にも昭和立志伝(小沢昭一) »

2013年7月 5日 (金曜日)

墨子悲絲、楊朱泣岐(蒙求)

 中国の古典蒙求に、『墨子悲絲(ぼくしひし)』、『楊朱泣岐(ようしゅきゅうき)』という言葉があります。

淮南子曰、楊子見逵路而哭之、為其可以南可以北、墨子見練絲而泣之、為其可以黄可以黒、高誘曰、憫其本同而末異

「淮南子(えなんじ)に曰く、楊子(ようし)逵路(きろ)を見て之に哭す。其の以て南すべく、以て北すべきが為なり。墨子(ぼくし)練絲(れんし)を見て之に泣く。其の以て黄にすべく、以て黒にすべきが為なり。高誘(こうゆう)曰く、其の本同じくして末異なるを憫(あわれ)むなり、と。」

※淮南子=前漢の淮南王劉安作。

※楊子(楊朱)=戦国時代の人、個人主義者といわれる。

※逵路=枝分かれした道。辻。

※墨子=戦国時代の人、兼愛・非戦を唱えた。

※練絲=練り上げたばかりの白い絹糸。

※高誘=後漢の人、淮南子の注釈書を書いた。

意訳:淮南子という書物に書いてあることだが、楊子は道が枝分かれしているのを見て大声をあげて泣いたという。南にも北にもどちらにも行けるが、はじめの一歩が大きな違いとなるからである。また、墨子は白い糸を見て泣いたという。黄にも黒にもどんな色にも染められるが、一旦染まってしまえばずっとその色になってしまうからである。このことを高誘は、『楊子・墨子はともに、その根本はひとつであっても、後に姿かたちが変わってしまうことをあわれんでいるのだ』 と言っている。

 道が分かれていることで泣いたり、白い糸を見て悲しんだり、楊子も墨子もいささか大げさですが、じっくり味わってみると、なかなか的を得たことを言っていることがわかります。我が身に振り返ってみても、『あのときこうしておけばよかった、道を誤った』 とか 『あの人の色に染まってしまった』 と思うのはよくあることで、人間は生まれながらに持っているものは同じでも、置かれた環境や他人からの影響によって進む方向は千差万別、幸せにも不幸にもなるということです。

ーーーーー

 蕪村に『楊朱泣岐』『墨子悲絲』から換骨奪胎したと思われる句があります。

梅遠近南すべく北すべく】(うめおちこちみんなみすべくきたすべく)

恋さまざま願の糸も白きより】(こいさまざまねがいのいともしろきより)

 一句目は、もとのフレーズ「南すべく北すべく」に梅の花をとり合わせています。二句目は「練糸」を七夕飾りの願いの糸とし、恋さまざまと置きました。蒙求を知らなくても十分に情緒が伝わってきますが、出典を知ることによって、さらに蕪村の心に近づくことができます。いい句ですね。私などは “蕪村も蒙求のファンだった!” と思うだけでワクワクします。

6781_3(市内で見つけた七夕飾り)

【678】

« 行行重行行(古詩十九首其一) | トップページ | ステテコや彼にも昭和立志伝(小沢昭一) »

古典より」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 墨子悲絲、楊朱泣岐(蒙求):

« 行行重行行(古詩十九首其一) | トップページ | ステテコや彼にも昭和立志伝(小沢昭一) »