もろともに苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき(和泉式部)
金葉和歌集雑歌下より、和泉式部の歌を鑑賞します。
【もろともに苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき】
(もろともにこけのしたにはくちずしてうずもれぬなをみるぞかなしき)
前書きがあります。
【小式部内侍うせて後、上東門院より年ごろたまはりけるきぬを、なきあとにもつかはしたりけるに、小式部内侍と書きつけられたるを見てよめる】(小式部内侍が亡くなって後、お仕えしていた上東門院さま(藤原彰子)から、毎年いただいていた衣を亡き後にも届けられ、小式部内侍と名前が書いてあるのを見て詠んだ歌)
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小式部内侍は和泉式部の娘です。25歳ころの万寿二年(1025年)に、母に先だって亡くなったとされます。意訳すれば 『苔むしたお墓に入った娘の肉体はなくなったが、下賜された衣につけられた名前まで一緒に朽ちたわけではない。それを思うとなお悲しい』 となります。我が子を亡くした和泉式部の心境は 『母である自分がまだ生きていることに耐えられない』 のです。 『いっそのこと娘と一緒にお墓の中に入りたい』 と言っているようにも聞こえます。
この歌は、和漢朗詠集「文詞」にある白楽天の詩を元に詠まれたのではないかとも言われています。
【遺文三十軸 軸々に金玉の声あり 竜門原上の土 骨を埋んで名を埋まず】(遺文は三十巻、一巻一巻にすばらしい詩文が残されている。君は竜門石窟の土となったが、骨は埋めても名を埋めることはできない)
小式部内侍は才女の誉れ高い人でした。百人一首にある、「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」は、古来より最も知られた和歌のひとつです。
『骨を埋んで名を埋まず(ほねをうずんでなをうずまず』…小式部内侍の名は、1000年後も埋もれてはいません。
【684】
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