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2013年7月 7日 (日曜日)

庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな(従三位頼政)

 新古今集巻三夏歌より、源三位頼政の歌を鑑賞します。

(夏月をよめる)

庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな】(267)

意訳:庭の上はまだ乾いていないけど、夕立のあがった空には澄んだ月がさりげなく出ていることよ。

6801

 この歌のポイントは、「さりげなく」です。古語辞典(小学館 全訳古語例解辞典)を引くと

さりげなし【然りげなし】 《「さりげ」は「さありげ」の変化した形》 そんなことがあった様子でない。何もなかった様子だ。

 とあります。現代的に「さりげなく」を別の言葉に置き換えれば、「なにげなく」、「それとなく」、「控えめに」、「知らん顔で」、「ついでに」などと近いでしょうか。単に字面を追って直訳すれば、「さりげなく」は夕立のあとに出ている「月」を指します。しかし作者の意図はそれだけにとどまりません。庭から空に転じた「視線」、雨雲が消えた「空」、そして澄んだ「月」にかけています。作者は「さりげなく」行動し、まわりの風景を「さりげなく」見ました。作者の思考を細かく読み解けば、

 『(さりげなくながめたら)庭が濡れている。そうか、夕立があったから当たり前だ。(さりげなく見上げたら) あれ? 澄んだ月が出ている。雨雲がどこかへ行って、さっきまでの雨がウソのように晴れている

 です。つまるところ作者の感動はすべて「さりげなく」感じたものです。それを何事もなかったかのように「さりげなく」淡々と詠んだのがこの歌というわけです。

 『にわのおもはまだかわかぬにゆうだちのそらさりげなくすめるつきかな

 三度ほどつぶやいてみてください。いい歌です。そもそも「さりげなく」という日本語表現が美しいのだと思います。

6802(法然院にて)

【680】

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