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2013年7月24日 (水曜日)

則非知之難也、処知則難也(韓非子 説難篇より)

則非知之難也、処知則難也

 これは、韓非子説難(ぜいなん)篇にある言葉です。要約すれば、

物事の真実を知るのは決して難しいことではない。知ったことがらに対してどのように対処していくかが難しいのだ

 という意味の格言です。処世術のひとつとして知られるこの言葉には、どういう背景があるのでしょうか。原文にあたってみました。

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 (原文)

 【昔者鄭武公欲伐胡、故先以其女妻胡君、以娯其意、因問於群臣、吾欲用兵、誰可伐者、大夫関其思対曰、胡可伐、武公怒而戮之、曰、胡兄弟之国也、子言伐之何也、胡君聞之、以鄭為親己、遂不備鄭、鄭人襲胡取之、宋有富人、天雨墻壊、其子曰、不築必将有盗、其隣人之父亦云、暮而果大亡其財、其家甚智其子、而疑隣人之父、此二人説者皆当矣、厚者為戮、薄者見疑、則非知之難也、処知則難也、故繞朝之言当矣、其為聖人於晋、而為戮於秦也、此不可不察

 (読み下し文)

 【昔、鄭(てい)の武公、胡(こ)を伐たんと欲す。故(ゆえ)に先ず其の女(むすめ)を以て胡の君に妻(めあ)わし、以て其の意を娯(たのし)ましむ。因りて群臣に問う、『吾、兵を用いんと欲す、誰か伐つべき者ぞ』 大夫(たいふ)関其思(かんきし)対(こた)えて曰く、『胡、伐つべし』 武公怒りて之(これ)を戮(りく)して曰く、『胡は兄弟(けいてい)の国なり、子(し)これを伐てと言うは何ぞや』 胡の君これを聞き、鄭を以て己(おのれ)に親しむと為し、遂に鄭に備えず。鄭人(ていひと)胡を襲いこれを取る。宋に富人有り。天雨(てんう)墻(かき)壊る。其の子曰く、『築かざれば必ず盗(とう)有らん』 其の隣人の父(ふ)も亦(ま)た言う。暮れて果たして大いに其の財を亡(うしな)う。其の家、甚(はなは)だ其の子を智として、隣人の父を疑う。此の二人の説は皆当たれるに、厚き者は戮となり、薄き者は疑わる。則ち知の難きに非ざるなり、知に処すること則ち難きなり。故に繞朝(じょうちょう)の言(げん)は当たれるも、其の晋に聖人とせられて秦に戮せらるや、此れ察せざるべからず】

※鄭武公=春秋時代初期の鄭の国の君主。

※胡=一般的に中国北方の異民族の国。

※大夫関其思=大夫…一般的に貴族、領主。関其思…人名。

※戮=殺すこと。

※墻=土塀。

※繞朝=秦の大夫。晋の策略を見破ったが、取り上げられず殺される。しかし、晋では策略を見抜く人物として聖人とたたえられた。

 (意訳)

 昔、鄭の武公は胡の国を討伐したいと思った。そこでまず自分の娘を胡の君主に嫁がせてその心を楽しませた。そののち群臣に向かって問いを発した。『自分は兵を起こそうと思うが、どこを伐てばいいだろうか』 大夫の関其思がこたえた。『それは胡の国でございましょう』 武公は怒り、関其思を誅殺して言った。『胡は自分の兄弟の国だ。お前はそれを伐てというのか。いったいどういうつもりだ』 胡の君主はこの言葉を聞いて、鄭は自分に親しんでいると信じ、ついぞ鄭に備えることをしなかった。そこを見計らって鄭人は胡を攻め、占領したのであった。

 また、宋の国に金持ちがいた。大雨が降って墻(土塀)が壊れたとき、その家の子供が言った。『早く築き直さないと、きっと泥棒に入られるよ』 隣の住人のおじさんも同じことを言った。日が暮れてから、果たして盗難にあい大きく財産を失った。その家では子供に対しては “この子には知恵がある” と、ホメたが、隣のおじさんに対しては “泥棒に入ったのはお前ではないか” と疑ってかかった。

 関其思にしても、となりのおじさんにしても、二人の言ってることは皆当たっているのに、ひどい場合は殺され、軽い場合でも疑いをかけられるのである。要するに、人の心を察したり、事実を知ることが難しいのではなく、知ったことがらに対してどのように対処するかが難しいのである。秦の繞朝が晋の謀略を見破り、晋においては聖人とされながら秦で殺されてしまったのは、その例のひとつとしてよくよく考えてみなければならないことである。

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 なかなか奥の深い話です。

 最後の繞朝云々の話は、ややこしくなりますからここでは省略しますけど、大夫の関其思はおそらく、日ごろから胡の国を攻め取りたいと思っていた武公の意を汲んで、胡を攻めるのがよろしいでしょう、と言ったはずです。なのに、逆に殺されてしまいました。となりのおじさんは、親切心で塀が崩れていることを教えてあげているのに、逆に泥棒はお前ではないかと疑われることになりました。

 考えてみれば、世の中そういうものかもしれません。我が身に振り返ってみれば、思い当たるフシも大いにありです。上司に媚びたつもりが逆に疎まれたり、親切心が仇になったり…、いくつかの体験を思い出します。

 韓非子の説難篇は、権力者にモノを言って説得することの難しさを説いています。現代でも通用する話ばかりで、とても二千年以上も前に書かれた文章とは思えないです。人間を知り尽くしている感があります。

 『すなわち ちのかたきに あらざるなり。ちにしょすること すなわち かたきなり

 心に留めておきたい言葉です。いつの時代も、世渡りは難しいものです。

【697】

 

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