炎天や十一歩中放屁七つ(永田耕衣)
図書館でブログのネタ探しをしていて、目にとまった句です。
【炎天や十一歩中放屁七つ】
思わず「プッ」っと吹き出してしまいました。この場にて鑑賞してみます。
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①、何と読むのか?
『えんてんや じゅういっぽちゅう』 までは、誰がみても異論はないと思います。問題は「放屁七つ」をどう読むかです。字に従えば『ほうひななつ』ですが、語呂が悪く、おもしろくありません。作者の永田耕衣は兵庫県生まれとのこと。ならば関西弁です。関西では「屁」は『へ』ではなく、『へぇ↴』と下がります。なのでここは、
『えんてんや じゅういっぽちゅう へぇ↴ななつ』
で決まりです。語呂もよく、句に勢いが出ます。ちなみに関西では「へぇ↴こいたな」と言います。平賀源内の放屁論によると、
【シナでは放屁と言い、京・大阪ではへをこくと言い、関東ではひると言う。女性はおならと言う】
とあり、この言い方には現在も変化はなさそうです。
②、『十一歩』、『七つ』 という数字に、必然性あるいは寓意があるのか?
おそらく寓意はないと思います。たとえば11-7=4…しり(尻) にひっかけてあるのかな? とも考えましたが、飛躍し過ぎているので捨てました。単純に作者の体験に基づいて詠んだとするのが自然です。
③、ならばどうして十一歩を正確に記憶できたのか? そもそも、どういう場面を詠んでいるのか?
たとえば階段の昇降などが考えられます。階段の上り下りは一苦労です。踊り場までくると、思った以上に階段が続いている、というのはよくあることです。放屁しながらとなると、上りより、むしろ下りの可能性が高いのではないでしょうか。疲れていれば、足元を見ながら段数を数えていくのもごく自然な行為です。炎天やとありますから、屋外の歩道橋のような場所だったかもしれません。
④、屁七つとはどういうことか?
いわゆる“数珠屁(じゅずべ)”です。七連発です。歩きながら屁意(こんな言葉があるのかどうか知りませんが)を催した作者は、たまたま階段にさしかかりました。そのまま足を運ぶと、括約筋が緩んで締まって緩んで締まって、一歩一歩「プッ、プッ、プッ、プッ、プッ、プッ、プッ…」、と屁が出ました。七発でほぼ全量出尽くしたものと思われます。もしくは、残りはスカシ屁で、本人にも出たかどうかわからなかったのかもしれません。
⑤、作者永田耕衣は、この作品を通じて何を言いたかったのか?
「炎天下、十一歩歩いているうちに屁が七つ出たことに興を覚えた。滑稽さを狙った軽みの句」 などと、もっともらしく解釈することも可能ですが、それらは後付けの理屈でしょうね。作者の主張はもっと単純だと思います。つまり、溜まっていた屁が一歩一歩歩みを進めるたびに出て、スッとしたのです。一連の経験を五七五にまとめたのは、俳人として当然の作業でした。『炎天や』がよく効いています。炎天下での数珠屁ならばこその満足感が、句からにじみ出ています。
(句の背景など、予備知識は何もありません。もとより勝手な鑑賞です(笑))
【683】
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かの十一歩中七つの屁の句には一茶句三つも思い出す。十斗り屁を捨てに出る夜長の句に、夏の日だったかの日長の慰みに野屎をたるように出た句に、鍬の数打ち(どれくらい思い出すないが)毎に酒一杯か一口地呑んだ句。
勝手に仮定すれば、永田耕衣氏は一茶の句を沢山じっくりと読んだかと思います。
敬愚(robin d gill)
ps遠近草で読んだ歌の解釈を求めて「諸共に苔の下」をSearchすればここに着た。あるいは、平仮名にしたかも知れないが。記憶力抜群にFuzzyの類いで。
投稿: | 2014年2月 7日 (金曜日) 09時22分