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2013年8月 7日 (水曜日)

そよりともせいで秋立つことかいの(鬼貫)

 本日立秋。有名な鬼貫の句を勝手に鑑賞します。

そよりともせいで秋立つ事かいの】(そよりともせいであきたつことかいの)

(意訳)秋風が吹いて木々がそよそよと騒ぐわけでなく、これでも秋を迎えたということなのかなぁ。

ーーーーー

 『立秋とは言っても暦の上だけのこと。まだまだ暑い日々が続きますー』

 テレビの天気予報では、例年同じ言葉が繰り返されます。鬼貫の生きた江戸時代も同じでした。旧暦と新暦の違いがあり、この句を詠んだ年は、あるいは異常気象だったのかもしれません。いずれにしても、そんな穿ちを素直な口語体で詠んだ佳句として評価されています。

 ただ私自身は、言い回しに違和感を感じます。それは最後の「事かいの」です。『鬼貫は三百年以上昔の伊丹の人。鑑賞するお前は現代の京都の人。時代も違えば土地柄も違う』 そう言われてしまえばそれまでですが、私には、語尾の「~かいの(あるいは「~かいのぅ」)」が、いかにも“じじむさい”です。どうせ口語で詠むのなら、いっそのこと、

【そよりともせいで秋立つ事でんなぁ】 あるいは、【そよりともせいで秋立つ事やねぇ

 と、私ごのみに添削したいところです(笑)

 このことは、時代とともに言葉が変遷するというひとつの証左であるとともに、口語俳句(あるいは自由律)は普遍性に乏しく、鑑賞する者によって好き嫌いが多くなることにもつながります。そもそも作者は何のために詠むのでしょうか。詩歌(うた)は「訴え」からきているといいます。もしも自分の感動を他人と共有するために詠むのであれば、単に口語で詠むだけで伝わるとはとても思えません。詩歌には日本語の特性を生かした技巧も必要です。

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【711】

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