世をそむく苔の衣はたゞ一重貸さねば疎しいざ二人寝ん(遍昭)
後撰集巻十七雑三より、小野小町と僧正遍昭の贈答歌を鑑賞します。
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「いその神といふ寺にまうでて日の暮れにければ、夜あけてまかりかへらむとてとゞまりて、『この寺に遍昭侍り』と人の告げ侍りければ、物いひ心見むとていひ侍りける」
(小町)【岩の上に旅寝をすればいと寒し苔の衣を我に貸さなん】
(いわのうえにたびねをすればいとさむしこけのころもをわれにかさなん)
返し
(遍昭)【世をそむく苔の衣はたゞ一重貸さねば疎しいざ二人寝ん】
(よをそむくこけのころもはただひとえかさねばうとしいざふたりねん)
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意訳:(「いその神」という寺にお参りしているうちに日が暮れ、夜が明けてから帰ろうと一泊したところ 『このお寺には遍昭さんがいらっしゃいます』 と教えてくれる人がいたので、話しかけてみようと思って詠んだ)
(小町)【(今宵は石上寺の)岩の上で旅寝をするので、たいそう寒いのです。岩に苔はつきもの。苔の衣とも呼ばれている(あなたの)僧衣を、私にお貸しいただけませんか】
その返歌
(遍昭)【俗世を離れた苔の衣(僧衣)は、ただ一重で人へ貸すわけにはまいりませんが、お貸ししなければ薄情に過ぎます。いっそのこと、この一枚の衣で二人一緒に寝ましょうか】
※いその神といふ寺→かつて奈良県天理市にあったとされる石上寺。遍昭の母がこの地の出身であったといわれる。
※心見むとて→反応をみようとして。
※岩の上に→石上寺の「石」に「岩」を掛ける。
※苔の衣→僧衣のこと。苔むす岩(石)に掛ける。
※世をそむく→出家の身。そむくは「背向く」。
※一重かさね→「人へ貸さね」 に掛ける。
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小野小町が石上寺を訪れた際、出家した遍昭も来ていることを知りました。遍昭は俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、六歌仙のひとりです。同じ六歌仙の小野小町とは、おそらく旧知の間柄だったのでしょう。せっかくの出会いです。声をかけてみることにしました。さっそく歌を贈ります。
『お久しぶりです。今夜は遅くなったのでこのお寺に一泊することにしました。されど石上寺というだけあって、岩の上に寝ているようで寒くて仕方ありません。聞けば僧衣を「苔の衣」とも言うそうですね。岩に苔はつきものです。苔ならばきっと暖かいと思います。どうか昔のよしみで、あなたの僧衣を貸していただけないでしょうか』
石上寺→岩の上、岩→苔、苔→僧衣(苔の衣)へとつなげ、あなたの僧衣を貸してほしいと頼んだわけです。縁語を連ね、よく考えられた歌です。実際は「心見むとて」と前書きにあるように、修行中の遍昭の様子を知りたい小町が、どんな返事がくるか試したくて、いささか茶化して詠んだものと思われます。これに対して遍昭は、
『私はもはや出家の身の上です。衣は一重(一枚)しか持っておりませんし、人へ貸すわけにも参りません。さりとてお貸ししないと遍昭は冷たくなったと思われてしまいます。仕方ないですね。この一枚の衣で二人一緒に寝ることにいたしましょう!』
と返しました。さすがに六歌仙と言われるだけあって見事なものです。「一重かさね」と「人へ貸さね」のシャレとともに、「いざ二人寝ん」という、どこまでが本音かウソかわからないような返歌に、小町は驚いたことでしょう。小野小町といえば色好み。一方の遍昭も、俗世にいるときはかなりの美男子だったと言われています。こののち二人は共寝したのかどうか、とても気になるところです(笑)
(この歌の贈答とほぼ同じ話が大和物語の168段に載っています。そこでは、歌を返した遍昭はそのまま寺を逃げ出したとあり、小町が寺の中を探しまわったが見つからなかった、とあります。ちなみに、大和物語では石上寺ではなく、京都の清水寺になっています)
【706】
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とても、楽しかった
投稿: | 2024年10月29日 (火曜日) 10時27分