わくら葉に取付て蝉のもぬけ哉(蕪村)
蕪村遺稿にある句です。
【わくら葉に取付て蝉のもぬけ哉】(わくらばにとりついてせみのもぬけかな)
※わくら葉=夏にもかかわらず、枯れて変色した葉。病葉。
※蝉のもぬけ=セミの幼虫が脱皮して羽化したあとの抜け殻。
ーーーーー
解説書によると、この句の言わんとするところは、
『夏の青々とした景色の中、セミの誕生という「生命のいぶき」と、病葉・抜け殻という「枯死」の対照』
にあるようです。いわゆる「生」と「死」との対比が眼目です。
ところで、“言葉遊びを楽しむ”をモットーにする当ブログです。解説書のまま鑑賞したのではおもしろくありません。もうひとひねりしてみます。ポイントは「わくらばに」にあります。古今集にある在原行平の歌、【わくらばに問ふ人あらば須磨の浦にもしほたれつゝわぶとこたへよ】でわかるように、「わくらばに」には 『偶然・たまたま』 の意味もあります。有名な歌ですから、蕪村が知らなかったはずはないでしょう。句作の際、頭の片隅にふとこの歌が浮かびました。それを前提に解釈すると、
(意訳)夏の日のこと。青々とした風景の中に、朽ち果てている「わくら葉」とそれに取りついている「もぬけ」のセミを、たまたま見つけた。
となります。要するに、セミは「たまたま」病葉で羽化し、蕪村も「たまたま」その場面に出くわしたというわけです。
病葉ではありませんが、自宅近くの門柱にセミの抜け殻を見つけました。妙なところで羽化するセミもいるものです。この際セミの弁護をするならば、これも「たまたま」でしょうか(笑)
【707】
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