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2013年8月 6日 (火曜日)

大木を見てもどりけり夏の山(闌更)

 江戸中期の俳人、闌更の句を鑑賞してみます。

大木を見てもどりけり夏の山】(たいぼくをみてもどりけりなつのやま)

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 高桑闌更(たかくわらんこう、1726-1798)は金沢生まれ。後に京都に出て活躍しました。

 当ブログが闌更を取り上げるのは初めてです。すこぶるわかりやすい句です。というよりも、はじめは『それがどうした?』とツッコミを入れたくなりました(笑) あるいは穿ちがあるのかもしれないとも思いましたが、「見て」「戻る」という、動詞を二つ続けたのがまずかったんじゃないかなぁ。単に「夏山で大木を見て帰ってきた」 報告としか思えませんでした。わざわざ句に仕立てるほどでもないと、言葉遊びを好む私にとっては、ひとひねり欲しい気がした次第です。

 調べると、闌更は芭蕉の高雅を慕い、粉飾なき平明な句を目指したことがわかりました。彼は感受性豊かな人物で、感動を素朴な言葉で表現しようと意識して努めていたわけです。ある意味納得です。

 とはいえ、同じ“夏山の大木”を詠んだ句に、内藤鳴雪の【夏山の大木倒す谺かな】(なつやまのたいぼくたおすこだまかな)というのがあります。いささかおおげさですが、こちらのほうは余情があって、私には好印象です。結局、好みの問題でしょうけれど。

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【710】

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