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2013年8月13日 (火曜日)

手にとれば歩行たく成る扇哉(一茶)

 猛暑続きの今年、駅のホームや車内、あるいはバス車内で、扇子を使う人をよく見かけます。高齢の方に多いようですけど、あれって、見た目おしゃれだなぁと思う反面、意外に迷惑なこともあります。特に混雑した場所で使われると、傍の者にとっては欲しくもない風が当たったり、扇子にしみ込ませてある妙な香りが漂ってきたり、パタパタと動かす手元を見るだけでも目ざわりだったりします。中には冷房がよく効いているにもかかわらず扇ぎ続ける人もいて、いったいなんのために扇いでるの? と思うことさえあります。

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 一茶の七番日記に、

手にとれば歩行たく成る扇哉】(てにとればあるきたくなるおうぎかな)

 という句があります。真新しい、それも値の張るものを買ったりすれば、「歩きたく」というより 「見せびらかしたく」なるのが自然な感情です。落語家ならずとも扇子は便利グッズとして使えます。背中が痒い時には“孫の手”代わりにもなるし、うるさくつきまとう蚊を追いやることもできます。開いたり閉じたり、単なるヒマつぶしの手すさびにもなります。一句は人情の機微に触れています。

 とはいえ現代社会では、あまり人前でパタパタするのは考えものです。たかが扇子、されど扇子。人ごみの中では遠慮するなど、まわりの状況をよく見て使いたいものです。

【717】

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