手にとれば歩行たく成る扇哉(一茶)
猛暑続きの今年、駅のホームや車内、あるいはバス車内で、扇子を使う人をよく見かけます。高齢の方に多いようですけど、あれって、見た目おしゃれだなぁと思う反面、意外に迷惑なこともあります。特に混雑した場所で使われると、傍の者にとっては欲しくもない風が当たったり、扇子にしみ込ませてある妙な香りが漂ってきたり、パタパタと動かす手元を見るだけでも目ざわりだったりします。中には冷房がよく効いているにもかかわらず扇ぎ続ける人もいて、いったいなんのために扇いでるの? と思うことさえあります。
一茶の七番日記に、
【手にとれば歩行たく成る扇哉】(てにとればあるきたくなるおうぎかな)
という句があります。真新しい、それも値の張るものを買ったりすれば、「歩きたく」というより 「見せびらかしたく」なるのが自然な感情です。落語家ならずとも扇子は便利グッズとして使えます。背中が痒い時には“孫の手”代わりにもなるし、うるさくつきまとう蚊を追いやることもできます。開いたり閉じたり、単なるヒマつぶしの手すさびにもなります。一句は人情の機微に触れています。
とはいえ現代社会では、あまり人前でパタパタするのは考えものです。たかが扇子、されど扇子。人ごみの中では遠慮するなど、まわりの状況をよく見て使いたいものです。
【717】
« ゆく水や竹に蝉鳴く相国寺(鬼貫) | トップページ | 燃立て貌はづかしき蚊やり哉(蕪村) »
「 勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事
- 夏風邪はなかなか老に重かりき(虚子)(2014.05.21)
- 後夜聞仏法僧鳥(空海)(2014.05.20)
- 夏といへばまづ心にやかけつはた(毛吹草)(2014.05.19)
- 絵師も此匂ひはいかでかきつばた(良徳)(2014.05.18)
- 神山やおほたの沢の杜若ふかきたのみは色にみゆらむ(藤原俊成)(2014.05.17)
コメント