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2013年9月11日 (水曜日)

大空に風待つほどのくものいのこゝろぼそさを思ひやらなむ(斎宮女御)

 後拾遺集巻十七より、斎宮女御(徽子女王)の歌を鑑賞します。

大空に風待つほどのくものいのこゝろぼそさを思ひやらなむ

(おおぞらにかぜまつほどのくものいのこころぼそさをおもいやらなん)

※くものい=蜘蛛の巣。

(意訳)大空に向かって風を待つ蜘蛛の巣のような、この私の心細さを思いやってください。

 斎宮女御(さいぐうのにょうご、929-985)は伊勢神宮の斎宮をつとめたのちに村上天皇の女御になった人で、三十六歌仙のひとりです。

 この歌は、大空と蜘蛛の巣という、普通では想像もつかないような比喩をもって、自らの心細さを表現しています。後拾遺和歌集では東三条院との贈答歌になっていますが、詠みっぷりの大きさに 「おいおい、本当に心細いのかよ」 と思ってしまうくらいです。むしろ独立した歌として鑑賞したほうがいいようです。後拾遺集巻十六にはこんな歌もあります。

風吹けばなびく浅茅は我なれや人の心のあきをしらする

(意訳)秋風が吹いて揺れ動く、浅茅のような存在とは私のことだろうか。人の心に飽きが来たことがわかるのだ。

 村上天皇との贈答歌です。「秋」と「飽き」を掛けて天皇の心が冷たいことを嘆いていますが、上の作品同様、歌に屈折したところがなく、どこか自信にあふれたような詠み方です。なんでも言いたいことをそのまま口にしてしまう女性だったのでしょうね。好きだなぁ、こういう歌風。はっきり言いきって、わかりやすいところに魅力を感じます。

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