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2013年10月10日 (木曜日)

立いでゝ後あゆみや秋の暮(嵐雪)

 焦門十哲のひとり、嵐雪の句を解釈してみます。

立いでゝ後あゆみや秋の暮】(たちいでてうしろあゆみやあきのくれ)

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意訳:秋の夕暮れ時、家を出てあたりを眺めたら、思わず後ずさりしてしまった。(まわりの風景があまりにも寂しいので、圧倒されてしまった)

 というのが、この句の一般的な解です。とはいえ、なんか変な感じです。秋の暮のさびしさに気押されて後ずさりするなんてことが、本当にあるのでしょうか。“嵐雪のころとは時代が違う。景色も人の心も違うのだ” といっても、ちょっと大げさな感じがします。どうも納得できません。そこで、別の解を考えてみました。

(当ブログの解釈):秋の夕暮れ、冷房の効いた部屋から外出しようとしたら、ムッとした空気に尻ごみしてしまった。暑い! まるで季節が夏に向かって後ずさりしているようだ。

 なんちゃって。むしろこの句は、温暖化が進んだ現代の秋の風景を詠んだものと解釈したほうがおもしろいです。

7751(鴨川の夕暮れ)

 というわけで、京都では今日も30℃超えの一日でした。季節が後歩きしているのでしょうか。

(勝手な鑑賞です。念のため(笑))

【775】

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