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2013年10月25日 (金曜日)

底のない桶こけ歩行野分哉(蕪村)

 蕪村の句です。

底のない桶こけ歩行野分哉】(そこのないおけこけありくのわきかな)

(意訳)底の抜けた桶が、ふらふらとこけ歩きしながら転がっていく。そんな野分が吹いた。

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 今でこそ街中で桶を見かけることはありませんが、蕪村の当時は井戸端に集落共用の桶でも置いてあったのでしょう。その一つは、底が抜けていました。そこへ突風が吹きました。あおられてコロコロと転がっていく姿は、まるで人がこけながら歩いているように見えた、というのです。

 この句からは普通われわれが考える、野分=台風のイメージはありません。むしろ野分に滑稽さを見出しています。一句の眼目は、中七で「おけ」「こけ」と韻を踏み、「歩行」と書いて「あるく」ではなく、「ありく」と読ませているところにあります。「おけこけあり」のリズムは、いかにも右へ左へ跳ねるように転がる桶を想像させ、句におかしみを添えています。

 野分といえば、蕪村のころも自然の脅威だったはずです。大雨や暴風には、集落を挙げて警戒したことでしょう。同じ蕪村の『鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな』などは、いかにも台風襲来前の緊張感にあふれています。それに比べ、この句の野分に緊張感はありません。

 現代の台風は、最大風速の違いによって、「強い」・「非常に強い」・「猛烈な」に分類されるそうです。同様に、蕪村も「野分」という季題を使っていろいろな風を表現したわけですね。こういう使い分けをできることが蕪村の感性の鋭さであり、俳諧師としての技量の高さを物語っているのだと思います。

【790】

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