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2013年10月29日 (火曜日)

偶吟(新島襄)

 新島襄の漢詩を鑑賞します。

「偶吟」(ぐうぎん)

徒假公事逞私慾(いたずらにこうじをかりて しよくをたくましくす)

忼慨誰先天下憂(こうがい たれかてんかのうれいにさきんず)

廟議未定國歩退(びょうぎいまださだまらず こくほひく)

英雄不起奈神州(えいゆうおこらずんば しんしゅうをいかんせん)

※公事=公の事務。くじ。

※忼慨=世の中の不正に憤ること。慷慨。

※廟議=朝廷(政府)の会議。

※神州=神の住む国。ここでは日本国のこと。

(意訳)(おおやけ)とは名ばかりで、実は私腹をこやしている。いったい誰が天下に先んじてこの憤りを憂慮するのか。政策は決まらず、国の歩みは退いていくばかりだ。今こそ英雄が出現しなければこの日本はどうなってしまうかわからない。

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 新島襄といえば明治時代のキリスト教主義者で教育家です。同志社(大学)を設立したということで、以前から名前だけは知っておりました。今年は大河ドラマ「八重の桜」で、全国的に有名になったのは周知のとおりです。

 彼は元治元年(1864年)二十一歳のときに函館からアメリカへ密航します。なので、いわゆる西洋一辺倒の人物かと思い、漢詩を詠むとは意外でした。それも世情を嘆いた一般論的な詩かと思いきや、この作品は、同志社の学生に宛てた手紙の中に書かれているのだそうです。特定の学生を鼓舞するために作った詩です。贈られた学生は、どれほど感激したことでしょう。「君こそが世の中を変えていくのだ。君が英雄になるのだ」と言われているのと同じです。一方、ドラマの中では徳富猪一郎(後の徳富蘇峰)に、「大人にならんと欲せば、自ら大人と思うなかれ(大人物になろうと思うなら、自分を大人物と思ってはいけない)」という言葉を与えた逸話が紹介されていました。

 「少年よ、大志を抱け!」と「汝、驕るなかれ!」と。

 大いに学生を鼓舞しつつ、驕慢になるのは戒める。これぞ教育者。新島襄という人、すごいなぁと思います。

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 ↑「偶吟」ならぬ、「偶々(たまたま)」同志社大学(今出川)の前を通りかかった次第(笑)

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