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2013年11月25日 (月曜日)

朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉をきぬ人ぞなき(藤原公任)

 大鏡巻二、「太政大臣頼忠」にある藤原公任の歌を鑑賞してみます。まずは本文を読みます。

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 【…一とせ入道殿の大井河に逍遥せさせたまひしに、作文(さくもん)の船、管弦の船、和歌の船と分たせたまひて、その道にたへなる人々を乗せさせたまひしに、この大納言殿の参りたまへるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗るべき」とのたまへれば、「和歌の船に乗りはべらむ」とのたまひて、よみたまへるぞかし。

 をぐら山あらしの風のさむければもみぢのにしききぬ人ぞなき

 申しうけたまへるかひありて、あそばしたりな。御みづからものたまふなるは、「作文の船にぞ乗るべかりける。さて、かばかりの詩を作りたらましかば、名のあがらむ事もまさりなまし。口をしかりけるわざかな。さても殿の『いずれにと思ふ』とのたまはせしになむ、我ながら心おごりせられし」とのたまふなる。一事のすぐるるだにあるに、かくいづれの道にもぬけ出でたまひけむは、古(いにしへ)もはべらぬことなり。…】

(意訳)ある年、入道殿(藤原道長)が大井川(嵐山を流れる)に舟遊びを催されたとき、漢詩の船、音楽の船、和歌の船と分けられて、それぞれの道にすぐれた人々をお乗せになりましたが、この大納言(公任)がやってきたのを、入道殿が、「あの大納言はどの船に乗るであろうか」 とおっしゃったところ、公任卿は「和歌の船に乗りましょう」とおっしゃて、次の歌をおよみになりましたよ。

【をぐら山あらしの風のさむければもみぢのにしききぬ人ぞなき】

“小倉山は嵐の風が吹いて寒いから、モミジが衣服に降りかかって、錦の衣を着ていない人はひとりもいない”

 (自ら和歌の船に乗ると)申されただけのことはあって、見事におよみになったものです。さらにご自分からおっしゃるのには、「あのとき、漢詩の船に乗ればよかった。これくらいの詩を作れば、私の名前ももっと上がったであろうに。残念なことをしたものだ。それにしても道長公が 『公任はどの船に乗るであろうか』 とおっしゃったというのには、我ながら得意な気分であった」 とのことです。一芸にすぐれているだけでもすばらしいのに、公任卿のようにどの道にも秀でておられるのは、昔にも例のないことです。

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 この話は、三船の才、三船の誉れ、三舟(さんしゅう)の才など、いろいろな言い方をされる逸話です。藤原公任といえば和漢朗詠集や三十六人撰などをあらわした人で、たしかに優秀な人物だったのでしょうけど、要するに和歌でも漢詩でも音楽でも、自分には芸事はなんでもできるよ、という自慢話です。とはいえこの歌、大鏡の作者の言うように、「申しうけたまへるかひありて、あそばしたりな。(京ことばで言えば、『自分から申し出て和歌の舟を引き受けはっただけのことはあって、上手に詠まはったものどすなぁ』)」 とまで、絶賛されるべき作品でしょうか。分解して考えてみます。

 小倉山は嵐山の向かいにある山だ。

 ↓

 嵐の山だけに風は寒い。

 ↓

 寒いからモミジが散る。

 ↓

 散ると人に降りかかる。

 ↓

 降りかかると着衣のようだ。

 ↓

 衣(きぬ)を着ぬ人はいない。

 このように、掛け言葉を使って場面を説明しているだけの歌です。「小倉山」は、そのまま「嵐山」に直結して余情を削いでいますし、「紅葉の錦」は、きれい過ぎてかえってわざとらしく感じます。言葉としては優雅だけれども、情景が作りものです。実は、この歌には変形バージョンがあります。拾遺集には

朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦きぬ人ぞなき】

 とあって、「小倉山」が「朝まだき」になっています。やはり嵐山を匂わせてはいますが、場所に普遍性があります。詠まれた時間も具体的に早朝と明示しています。鑑賞する者の想像力に訴えかけて、寒さが身に沁みます。さらに拾遺抄では、

朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉をきぬ人ぞなき】

 とあって、「紅葉の錦」が「散るもみぢ葉」になりました。今まさに散っている場面を彷彿とさせ、3パターンの中で最も情緒があります。

 元の作品はどれか? 作者自身が推敲したのか? それとも後世の改変か? そのあたりはよくわかりませんが、拾遺抄の作品が、最も自然な言葉遣いで、感情移入に優れているように思います。いくつかのバージョンがある中で、当ブログがタイトルに選んだゆえんです。

8211(嵐山、天龍寺境内にて)

↑この写真のほうがもっとわざとらしい…かな?(笑)

【821】

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