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2013年11月10日 (日曜日)

うづまさの深き林をひびきくる風のとすごき秋の夕暮(小沢蘆庵)

 江戸時代中期の歌人で、京都に住まいした小沢蘆庵(おざわろあん、1723-1801)の歌です。

うづまさの深き林をひびきくる風のとすごき秋の夕暮

(うずまさのふかきはやしをひびきくるかぜのとすごきあきのゆうぐれ)

※風のと=風の音。

(意訳)太秦の深い林の中を鳴り響きながら渡ってくる風の音が『すごい』…そんな秋の夕暮れだ。

 この歌のポイントが「すごき」にあることは明らかです。現代語の「すごき(すごい)」ならば、「とても!」とか「普通では考えられない!」など、「!」マークをつけて、物事の程度、量の多さを言い表す言葉として使うことが多いですが、それをそのままあてはめたのでは意味をなしません。この歌の場合、なんと訳せばいいのでしょうか。古語辞典を引いてみます。

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【すごし】

①、ぞっとするほど恐ろしい。気味が悪い。②、ぞっとするほど寂しい。③、ぞっとするほど美しい。

 三つの意味が書いてありました。いずれも「ぞっとするほど」が共通で、あとに続く、「恐ろしい」「寂しい」「美しい」は、概念として共通しません。ということは、古語の「すごき」も、現代語と同じように「とても」とか「大変」のように、ある概念を強調・増幅させる使い方であったことが想像できます。すごいのは「風のと」ですから、要するに台風でも来たのかな? と、それもおかしいですね(笑) 次に漢和辞典を開いてみます。「すごき」は漢字で書けば「凄(き)」です。

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【凄(セイ・サイ)】スゴい、スサマじい、ぞっとする…

 用例として列挙してある熟語に興味深いものをみつけました。

「凄日(セイジツ)」:秋の日、そぞろ寒い秋の日、凄は涼。

「凄辰(セイシン)」:秋の季節。

 なんと! 「凄」の字そのものに「秋」の意味がありました。それも寒さの増した晩秋のイメージです。そういえば、新古今集に西行の歌で、「古畑のそばのたつ木にゐる鳩の友よぶ声のすごきゆふぐれ」というのがありますが、「すごき」とは、まさしく物悲しくて寂しい秋の夕暮れのことだったのですね。

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 とはいっても、結局のところ、太秦のすごい夕暮れは、いったいどんな夕暮れなのか、歌の解釈としては何も解決していません。ここでもう一度蘆庵の歌を見れば、「うづまさにてひとりながめて」との前書きがあります。ならば蘆庵と同じように太秦に立って眺めてみよう、ということで、太秦広隆寺前の交差点に行ってみました。

8062

8061(広隆寺門前)

 そうしたら、現代の太秦には深き林も風の音も無く、ただ車の往来だけが“すごい”、そんな秋の夕暮れがあっただけでした(笑)

※参考:プログレッシブ全訳古語例解辞典(小学館)・新明解漢和辞典(三省堂)

【806】

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