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2013年11月22日 (金曜日)

声聞かば猶しかるべき紅葉哉(松永貞徳)

 江戸時代初めの京都の俳人、松永貞徳の句です。

声聞かば猶しかるべき紅葉哉】(こえきかばなおしかるべきもみじかな)

 松永貞徳といえば貞門俳諧の総帥で、言葉遊び中心の俳人です。ダジャレ程度なら、私にも察しがつくのですが、この句については何を言ってるのかわかりませんでした。ある人に「花札の紅葉の札を見ればわかるよ」と教えてもらいました。

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「この札ですか?」

「そうだ。モミジと一緒に何が描いてあるかな?」

「鹿です」

「では、百人一首の『奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき』は知ってるかな?」

「はい。五番、猿丸太夫です」

「そう、古今集にはよみ人知らずとして出ているけどね。奥山・モミジ・鳴く鹿の取り合わせは、晩秋の寂寥感を彷彿とさせるいい歌だ。以来この歌は、モミジと鹿の関係を決定づけたとされている。鹿の肉をモミジ肉と言うだろう。あれもこの歌からきているそうだ。貞徳の句に、“しかるべき”とあるけど、どういう意味だろう」

「『そうするのが当然』とか、『適している』という意味ですか?」

「そうだね。ここは『今の場面にふさわしい』と訳すのがいいかもしれないね。晩秋の一日、深山に紅葉狩りに出かけた貞徳は、落葉を踏みしめながら歩いていて、ふと思ったんだ。美しいけど、この場面にふさわしい何かが足りない、と」

「鹿の鳴き声!」

「正解。古来より紅葉は鹿を連想させるものと決まっているんだ。それを“しかるべき”に込めたんだな」

「わかりました! 紅葉に付き物の鹿の鳴き声が聞こえないのは物足らない、ちょっと寂しいという意味ですね。言葉遊びにしては、なかなかひねってるじゃないですか!」

「紅葉に鹿は付き物。貞門俳諧にはダジャレが付き物さ(笑)」

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 …というわけで松永貞徳の句、【声聞かば猶しかるべき紅葉哉】の意訳です。

意訳:(鹿の鳴き)声が聞こえてくれば、このきれいな紅葉によりふさわしいのに…。“しか”るべく鳴いてほしいものだ。

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【818】

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