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2013年11月 5日 (火曜日)

こひしくばたづねてきませあしひきのやまのもみぢをたをりがてらに(良寛)

 新潟県出身の友人が言いました。「越後生まれの人物で一番の偉人は良寛さんだ」と。

 良寛(1758-1831)は、和歌や漢詩をよくしたことでも知られています。今回は、これまで鑑賞したことのなかった良寛さんの和歌をいくつか取り上げてみます。

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①【恋しくばたづねて来ませあしひきの山の紅葉を手折りがてらに

(意訳)恋しければ、どうぞ尋ねて来てください。山の紅葉を手折りがてらにでも。

②【月読みの光を待ちて帰りませ山路は栗のいがの多きに

意訳:お月さまの出るのを待ってからお帰りください。山路は栗のイガが多いですから。

 自分の庵に貞心尼を呼び、送ったのでしょうか。連続した場面を詠んだと思われるこれらの歌には、気を衒ったところがありません。心のままに詠んだのは間違いないでしょう。相手の身を気遣った、素朴で明るい歌でありながら、どことなしに寂しい雰囲気を持っている、不思議な歌です。

③【世の中にまじらぬとにはあらねどもひとりあそびぞわれはまされる

(意訳)世間から逃れて、人と交わりをしないわけではないけれど、こうして独りで過ごしているほうが、自分には気楽でよいように思われる。

 こちらのほうは厭世的です。ゆったりとした調子の中に、過去の仏教者の無常観の歌とはちょっと違う心境を述べています。それはあたかも、孤独を好んでいるようでいて、逆に孤独感を強調しているように感じます。仏教者の悟りではなく、凡人の「諦念」(あきらめの意)を思わせます。

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 これまで良寛さんといえば、終生子供のような純真な心を持っていた人物、とのイメージがありました。いくつかの和歌を見る限り、実際はそうでもないようです。もしかして、顔では笑ってても、心では泣いていた…。

 良寛さんという人、仏教人としてよりも、むしろ一個の人間としての深い思索を胸に抱いていた。その上で、子供たちと一生懸命に遊んだところに偉大さがあった。 と、そういうことですね。いずれも、おじさん好みのいい歌です。特に③の歌なんか感動モノです。

(当方良寛さんには疎く、貞心尼との交渉など、よく理解していません。あくまでも勝手な鑑賞であることをお断りしておきます)

【801】

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