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2013年11月18日 (月曜日)

酒飲みてみな紅葉するその中にひとり醒めぬる松もはづかし(暁月坊)

 はじめて狂歌を詠んだとされる暁月坊の「狂歌酒百首」の中の一首です。暁月(ぎょうげつ)とは法名で、鎌倉時代後期の歌人冷泉為守(れいぜいためもり、1265-1328)のことです。

酒飲みてみな紅葉するその中にひとり醒めぬる松もはづかし

(さけのみてみなもみじするそのなかにひとりさめぬるまつもはずかし)

(意訳)酒を飲むと皆酔って赤くなるのに、ひとり醒めたまま色の変らない松も、気恥ずかしいことよな。

 多くの人々が酔って顔を赤くしている中、一滴も飲めない下戸を揶揄(やゆ)したのか。それとも、いくら飲んでも顔色ひとつ変えない大酒のみを憐れんでいるのか、赤く色づくモミジやカエデの中に、紅葉することのない松が混じっているのはきまりが悪い、恥ずかしいよ、というのですね。和漢朗詠集秋「紅葉」の

『外物独醒松澗色』(紅葉以外では谷間の松が独り醒めている)

 また楚辞屈原の

『挙世皆濁我独清、世人皆酔我独醒』( 世の中すべて濁っているのに私だけが清んでいる。だれもかれも皆酔っているのに私だけが醒めている)

 と比較して鑑賞されます。

 漢詩を身近な場である宴席に転じ、盛り上がる人・醒めたままの人を、晩秋の広葉樹と針葉樹にたとえて詠んでいるわけです。穿ちと語呂のよさは、江戸時代に流行した狂歌の先がけと呼ぶにふさわしい体裁で、後世の手本となったのもうなづけます。

 …と思ったら「狂歌酒百首」の中には暁月の時代にはなかったと思われる言葉が使われていて、江戸時代の偽作の可能性が高いとのこと。暁月坊がはじめて狂歌を詠んだとするのは、あくまでも伝説なのだそうです。「狂歌酒百首」は1771年(明和8年)の出版で、そのもとは1497年(明応6年)の写本で、原本が1335年(文和4年)にできたもので…、いやはや、もうなにがなんだかわけがわからなくなってきました。

 狂歌というより、ただの狂か?(笑)

8141_3(南禅寺にて)

【814】

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