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2013年11月30日 (土曜日)

行秋や抱けば身に添ふ膝頭(炭太祇)

 11月も末日になりました。炭太祇の句を鑑賞します。

行秋や抱けば身に添ふ膝頭】(ゆくあきやいだけばみにそうひざがしら)

(意訳)とある晩秋の日。何をするわけでもなく膝頭を抱え丸まって座っていると、我が身のわびしさと行く秋の相乗効果で、より一層物悲しさが身に沁みる。

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 鑑賞のポイント①、「抱けば身に添ふ膝頭」とは、どういう姿勢でしょうか?

 立膝をして足を抱えているのは間違いないですけど、おそらく片膝だけ立てているのだと思います。両膝を立てて座っているとするのは、まるで運動会で出番を待っている小学生の「体育座り」になって、句のイメージに合いません。作者はひとりきり、部屋の真ん中で茶碗酒でもすすりながら物思いにふけっているのでしょう。

 鑑賞のポイント②、「抱けば」は、「だけば」でしょうか? それとも「いだけば」でしょうか?

 古語辞典を引いてみたところ、「抱く」は「いだく」の読みで載っています。もともと「いだく」と読んでいたものが転化して、現代語の「だく」になったようです。実際、なんと読ませたいのかは作者に聞いてみないとわかりませんけど、語感としては、「だけば」では表現が生々しい感じがします。ここは多少字余りであっても「いだけば」のほうが情緒があるように思います。

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 炭太祇(1709-1771)は江戸時代中期の人です。私自身は、「初恋や灯籠に寄する顔と顔」、「行く女袷着なすや憎きまで」、「うつす手に光る蛍や指のまた」など、ちょっと色っぽい作品が好みですが、この句もいいですねぇ。今年も残すところ一月。師走の喧騒を前に、ただぼんやりと、過ぎ行く秋に我が身を添わせてみたいものです。

【826】

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